大航海時代に連れて来られた黒人奴隷と共に、アメリカ大陸に持ち込まれた病気の一つに、寄生虫の一種ネカトール・アメリカーノがありました。
この寄生虫をはじめ多くの伝染病には、ブラジルへ渡った日本人も大いに苦しめられました。
戦前の日系人開拓地のほとんどが無医村地帯。
苦しむ同胞を助けようと、日本の医師たちがブラジルへと向かいました。
その中に岐阜県下呂市出身の細江静男先生(慶應大学医学部卒)もいました。
のちに「ブラジルのシュバイツァー」と呼ばれるようになった偉人です。
ブラジルの大地を踏んだ細江先生は、日系人のための病院建設業務、アマゾン奥地への巡回、サンパウロ市における夜間無料診療所開設などに従事するかたわら、ブラジルでの医師免許を取得するためにサンパウロ大学医学部へ通い、まさに三人前以上の仕事をやり抜きました。
朝は5時起床、6時半には家を出て通学、診療を終わって帰宅するのは午後11時、これを6年間。
今の時代では過重労働と言われるような生活です。
そのようにしてブラジルで根を張った日本人医師たちは、無医村地帯を交代で巡回するだけでなく、現在のサンタクルス日伯慈善協会サンタクルス病院、サンパウロ日伯援護協会の基盤作りに大きな貢献を果たしました。
「過去を振り返れば、日系社会はこの新型コロナウイルスの問題以上の多くの困難を乗り越え、今日に至っております」<ブラジル日本都道府県人会連合会 山田康夫会長
ニッケイ新聞より>
憩の園の経営状態は依然苦しい状況にありますが、多くの方々のご支援を受けて運営を続けています。
ブラジル日系社会の団結力は、細江先生がブラジルへ渡った頃から脈々と受け継がれていることを感じる今日この頃です。
さて、掲載している写真は、憩の園に迷い込んだ犬と猫です。
3匹の犬は「大吾」「小吾」「チビ」、2匹の猫には「ミーコ」「ミャンカ」というかわいい名前がつけられ、施設内で面倒をみているそうです。
不安な日々が続く中、この動物たちが入所者やスタッフの方々の癒しになっていることは間違いありません。