ようこそ!こいこい」住まいるリハビリ

平穏な年金暮ら!。「2009交通事故に遭う、障害者2級・介護3」介護支援センターのケアーサービス実施。※パソコン&テレビ(スポーツ・ドキュント等)も楽しんみ、「在宅介護リハビリ(診療・療法)ライフ」。
 
2013/02/25 20:16:05|その他
地震騒ぎも岐路の満月に癒された。
 今日は突然、携帯電話の地震予告警報音に、リハビリ(機能回復運動)センターは一瞬不安と緊張が走った。TVには、震源は日光(震度5強)であった、当地川越は何の揺れもなく終て、安堵した。やぁ

☆岐路の送迎バスの窓に、東の空には「きれいな満月」が観られた。何事もなく平穏に帰宅でき、癒された・・・。ニコニコ 







2013/02/24 13:11:10|その他
国内初の航空機事故から100年 散った先達悼む、所沢で企画展

 

わが国最初の航空機事故の犠牲者となった木村、徳田両中尉の銅像記念塔=所沢市並木の県営所沢航空記念公園
2人の陸軍中尉が搭乗していたフランス製「ブレリオ機」の模型
木村鈴四郎砲兵中尉(喜多川方暢氏提供)
徳田金一歩兵中尉(喜多川方暢氏提供)

 1911(明治44)年4月、わが国初の飛行場が開設され、記念すべき日本の航空発祥地となった所沢市。その輝かしい栄光からわずか2年後、国内で初めての航空機事故が発生し、2人の搭乗員が犠牲になったのも所沢市だった。この痛ましい事故を悲しみ、後に犠牲者の記念塔が建設され、いま同市並木の県営所沢航空記念公園内にひっそり建っている。来月、事故からちょうど100年。同市生涯学習推進センターは、特別企画展を開催している。

突風、そして墜落

 所沢市によると、1913(大正2)年3月28日、所沢飛行場を離陸した陸軍の木村鈴四郎砲兵中尉(当時27、石川県出身)と、徳田金一歩兵中尉(当時29、山口県出身)=いずれも第1期飛行機操縦学生=が搭乗する、フランス製単葉機の「ブレリオ機」は東京・青山練兵場に向かった。航空機時代の幕開けを迎え、陸軍省がその重要性を貴族・衆院の両院議員に訴えるための観覧飛行だった。任務を終えた同機は午前11時36分、所沢に向けて帰航の途に就いた。

 ところが、所沢飛行場の北東約1500メートル、松井村下新井字柿の木台(現所沢市下新井・聖地霊園脇)の上空300メートルに差し掛かった時、突風に左翼を破壊され、機体は墜落。2人の中尉は命を落とした。これが、わが国最初の航空機事故となった。

低くなった記念塔

 当時の「やまと新聞」(東京・京橋)が2人の死を悼み、国民から義援金を募って墜落地点の用地を買収し、銅像の記念塔を建てた。除幕式は1周忌に当たる14年3月28日に行った。銅像は左側が徳田中尉、右側が木村中尉。作者は金沢市の金工作家水野朗氏だ。両中尉の血痕の染みが残る肌着は今も大切に保管され、所沢航空発祥記念館に展示されている。

 当時、墜落地点へ行くには交通の便が悪く、この地を訪れる人は少なかった。そこで所沢町(当時)のほか6カ村の在郷軍人会が発起人となり、29(昭和4)年3月、記念塔を西武線所沢駅西口に移設した。

 その間、23(大正12)年9月の関東大震災により石積みの記念塔が大破、これを修復したため高さは約9・5メートルと、当初より1メートル余り低くなった。同センターの倉持美樹主査によると「記念塔の景観が当初と変わっている事実は意外と知られていない」という。また、記念塔の移転後、墜落地点には根府川石で作られた「木村・徳田両中尉殉職記念碑」も建立された。

29年ぶり“帰還”

 戦後は記念塔を取り巻く環境が大きく変わった。「軍」に関わる事物は忌避され、記念塔も52(昭和27)年、駅前の混雑緩和を理由に西武鉄道が市郊外の「西武園ゆうえんち」がある多摩湖畔(村山貯水池)へ移した。さらに65(昭和40)年11月、航空自衛隊入間基地の構内へと移っていった。

 その後、所沢市内に「記念塔を再び所沢へ」という運動が広まった。米軍基地の跡地が部分返還されたことが契機となって「所沢が航空発祥の地であったことを示す記念の場所を作りたい」という思いが地元に強まる。

 78(昭和53)年、航空記念公園が開設され、それを切っ掛けに記念塔をめぐる調整が入間基地との間で行われた。80(昭和55)年3月、記念塔の移設工事が始まり、翌年2月には完成式が行われた。実に所沢へは29年ぶりの“帰還”となった。

 木村、徳田両中尉の殉職を追悼する特別展が3月17日まで、同市並木の市生涯学習推進センターで開かれている。事故現場や翼の一部、遺品、記念塔除幕式、事故機の模型などの豊富な資料が展示されている。問い合わせは、同センター(04・2991・0303)へ。








2013/02/23 15:04:41|その他
今日も寒い冬晴れつづく、リハビリ(機能回復運動)に休みなし!
 今日も晴れ冬晴れ、寒さも底を打つらしい!、春が足音が聞こえそう・・・。花
 今朝も元気に起床して、「イチ・ニイ・サンとリハビリ!」 四肢(手足)痙縮(けいしゅく)ストレッチの自主トレがスタート・・・。

今日も在宅リハビリ(妻の介除&介護、起床〜就寝)年中無休日和です。グッド
☆昨日訪問リハビリ(週1日金16:20=40分)があり、健康骨&右肩周辺の日常のストレッチの留意点のアドバイスを受けた、「大きく右手を(回す・伸ばす動かす事・・・。びっくり







2013/02/22 14:30:32|その他
今朝もいつものリハビリ(機能回復運動)から始動する・・・。
 今朝も爽やかに目覚め、先ずはベッドで「イチ・ニイ・サンとリハビリ!」 四肢(手足)痙縮(けいしゅく)ストレッチ・スクワット・膝の屈伸等の在宅リハビリ(妻の介除&介護、起床〜就寝)年中無休の一日が始まった。 
☆訪問マッサージ(週2日水金12:30=20分)の療法士さんも、改善の兆しも出て来たと言ってくれていました。







2013/02/21 20:46:19|その他
WBC苦渋の選択?

浩二監督「非常につらい選択」…野手落選を決めた3つの理由

(スポニチアネックス)2013/2/21 7:00

厳しい表情で記者の質問に答える山本監督

厳しい表情で記者の質問に答える山本監督(スポーツニッポン新聞社)

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 ◇侍ジャパン最終メンバー28人発表(2013年2月20日)

 会見場にはテレビカメラ13台が並び、集まった報道陣は100人を超えた。山本監督は姿を見せると、まずその数に驚いたが、すぐに真顔になり、28人の最終登録メンバーを力強く読み上げた。

 「毎日のようにスタッフとミーティングをしまして、いろんなことを想定しながらきょうまで悩みました。非常につらい選択だった。(落選した選手には)何かあればすぐはせ参じてほしいという気持ちを伝えました。外れた5人も侍ジャパンの一員です」

 連日、食事を首脳陣で取り、その後は監督の自室へ。深夜にまで議論が及んだこともある。この日も紅白戦後、すぐに宿舎へ戻り、ミーティングに入った。そして、大部屋に山本監督以下、6人のコーチが並び、落選した5人を同時に呼んだ。戦略上の点から外したこと、そして28人にアクシデントが出た場合は追加招集することを告げた。最後に力強い握手で選手を送り出した。







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