ようこそ!こいこい」住まいるリハビリ

平穏な年金暮ら!。「2009交通事故に遭う、障害者2級・介護3」介護支援センターのケアーサービス実施。※パソコン&テレビ(スポーツ・ドキュント等)も楽しんみ、「在宅介護リハビリ(診療・療法)ライフ」。
 
2018/07/12 6:22:14|歳時記(花鳥風月)
鉄道博物館、新館がオープン 4階建ての新施設!。
鉄道博物館、新館がオープン 4階建ての新施設、5日から一般公開 本館も改修、安倍首相らがテープカット 5日にオープンする新館完成と本館リニューアルを記念して行われたテープカット=4日午後、さいたま市大宮区の鉄道博物館 さいたま市大宮区の鉄道博物館新館オープンと本館改修を記念する式典が4日、同博物館で開かれ、安倍晋三首相らが出席した。2007年10月に開館した鉄道博物館の新館建設は16年7月着工。全館リニューアルとともに本館南側にこのほど、鉄道の「仕事」「歴史」「未来」をテーマとした三つの展示ゾーンからなる4階建ての新施設が完成した。5日から一般公開される。 安倍首相は、日本の鉄道の黎明(れいめい)期からこれまでを振り返り、「わが国の鉄道は年間240億人が利用する国民生活には欠かせない輸送手段。鉄道博物館がこれからも鉄道の歩みを伝え、世界の人々から末永く愛されることを祈念する」と祝辞を述べた。 安倍首相はその後、同区の市大宮盆栽美術館を訪れ、祖父・岸信介元首相が所蔵していた盆栽などを鑑賞。「子どもの頃、祖父の家にあって、よく見ましたよ。いたずらすると怒られてね」などと懐かしがっていた。鴻巣市内の保育園も視察した。







2018/07/11 6:17:40|暮らしと健康
最新の血管撮影装置 造影剤や被ばく量を低減!。、
行田総合病院、最新の血管撮影装置を導入 造影剤や被ばく量を低減、患者の負担少なく 安全性も向上 2方向から同時に撮影ができる「血管撮影装置バイプレーン」による血管内治療の様子=行田市持田の行田総合病院 血管内治療が注目を集めている。脳や心臓、大血管、肝臓、消化器、泌尿器などの病気に対しての治療法は、全身麻酔を使い体にメスを入れる外科的治療が主流だが、血管撮影システムの進歩に伴い患者の負担が少なくて済む治療法として症例も増えている。行田総合病院(埼玉県行田市)は5月、最新の血管撮影装置を導入。くも膜下出血や脳内出血、脳梗塞などの治療に外科的手術と血管内治療の両面を手掛けている脳神経外科の本間秀樹医師に、取り組みを聞いた。







2018/07/10 6:11:16|新聞を読んで・・・。
ミニバンより広い客室、「ホンダジェット」公開離陸する!。

ミニバンより広い客室、「ホンダジェット」公開離陸する「ホンダジェット エリート」独立したシートが並ぶ「ホンダジェット エリート」の機内 ホンダは5日、国内で受注を始めた小型ビジネスジェット機「ホンダジェット エリート」を国内メディアに初めて公開した。企業や富裕層向けに試乗会を始めており、性能や利便性をアピールして売り込みを図る。 この日のメディア向けの試乗会は、静岡空港(静岡県牧之原市、島田市)周辺で行われた。ホンダジェットは全長約13メートルで乗員含めて7人乗り。客室はミニバンより広く、向かい合う座席の間隔が約2メートルあり、足元に余裕がある。座席回りにはテーブルや電源を備え、インターネットも使える。飛行時でも自然に会話ができるよう騒音も適度に抑えられていた。 ホンダジェットを生産している米国子会社の藤野道格みちまさ社長は「上空で会議や商談もできる。観光などでも手軽に乗れるようにしたい」と話した。







2018/07/09 6:55:47|新聞を読んで・・・。
麻原彰晃はどうやって出来上がったのか?。

27歳ですでに詐欺師… 麻原彰晃はどうやって出来上がったのか?<麻原彰晃の真実> 6日、法務省が発表した、オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚ら7人の教団元幹部の死刑執行。多くの謎を残したままの死刑執行に、様々な声が挙がっている。麻原彰晃とはどんな人物だったのか? 6千人を超す死傷者を出した地下鉄サリン事件から17年となった2012年。最後の特別手配犯3人の逃亡生活にピリオドが打たれた年に発売された『週刊朝日 緊急臨時増刊「オウム全記録」』で徹底的に取材した麻原象を、特別に公開する。日本中を、いや世界を震撼させたオウム事件とは何だったのか。「尊師」と呼ばれた男の半生と、テロにつながった「狂気」の全貌を、全3回で明らかにする。「私の生い立ちは不幸だった。泣いてばかりいた」「尊師」と呼ばれた男はかつて、オウム真理教幹部の一人にこう漏らした。地下鉄にサリンをまき、拉致や殺人を繰り返す「狂気の物語」は、そんな男の少年時代の苦悩から幕を開ける。■狂気の芽 日本の三大急流のひとつ、球磨(くま)川が八代海に注ぐ熊本県八代市高植本町(たかうえほんまち)。オウム真理教の教祖、麻原彰晃(あさはらしょうこう)こと松本智津夫死刑囚(以下、麻原)の実家は、藺草(いぐさ)畑の緑が広がるこの町にあった。地下鉄サリン事件の翌年に母が76歳で亡くなり、97年にはここで鍼灸院を営んでいた長兄が53歳で死去。畳職人だった父は「もうここにはおられん」と、間もなく町を去った。その父も08年、92歳で逝った。長兄が建て直した実家は解体され、いまは更地になっている。1955年3月2日、麻原は生まれた。一家は両親と男5人、女2人の7人きょうだい。下から2番目にあたる四男として育った。ほかに姉と弟が1人ずついたが、ともに1歳でこの世を去っている。11歳年下の長兄は全盲で、熊本市内にある県立盲学校で寄宿舎生活をしていた。麻原も先天性緑内障で左目は見えなかったが、右目は弱視ながらも見えため、自宅近くの小学校へ進んだ。おとなしくて、女の子とままごとばかりしている子どもだった。どうしても目を細めがちだったので、女の子からもいじめられることもあったという。小学校に入学した年の秋、麻原の人生に最初の転機が訪れた。家から40キロ離れた、長兄と同じ盲学校へ行くことになったのだ。子だくさんで貧しい家庭の先行きを案じた両親が、就学奨励費の受給を目当てに、転校を決めた。それが、後に世界を震撼させる「狂気」の下地を作ることになると、誰が思っただろうか。「親に捨てられた」との思いを強くした麻原は毎日泣き、転校を嫌がったが、「傾きかかった小屋のような家で、土間にむしろを敷いて生活していた。長い教師生活の中でも、あれほど貧しい家は、見たことがなかった」(盲学校小学部時代の教諭)c Asahi Shimbun Publications Inc. 提供 という状況では、いたしかたなかった 全盲の生徒も多いなか、右目が見えた麻原は、勉強でも運動でも目立った。体格もよかった。中学部から柔道を始め、高等部で二段を取得。校内でバンドを組み、ボーカルを担当した。西城秀樹の「情熱の嵐」が十八番(おはこ)だった。こうして小、中、高、そして鍼灸師の資格を取った専攻科と、14年間の寄宿舎生活の間ずっと、麻原は同級生や下級生に君臨した。一方で、決して上級生には刃向かわなかった。小学部の時は、人形劇をまねた「サンダーバードごっこ」に熱中し、自分が隊長になった。紙で作ったタスキと帽子を同級生につけさせ、「1号」「2号」……と呼んで従えた。気に入った「隊員」には、キャラメルのおまけを与えた。中身は自分で食べた。中学部時代は寄宿舎の部屋で「プロレスごっこ」の毎日だった。同室の仲間同士を無理やり戦わせたが、麻原以外の5人は仲がいい。当然、遠慮し合う。すると麻原は「こうやれ」と言って、自分で仲間を殴った。殴っては笑っていた。 お気に入りの取り巻きには優しかった。いつも子分のように振る舞う全盲の生徒がいた。麻原はその生徒に読ませたい本を手に入れてきては、同室の目の見える生徒に命令した。「徹夜してでも、朝までに点訳しろ」翌朝、出来上がった点訳を、得意げに渡した。カネへの執着もすでに見てとれる。小学部高学年のころ教諭に、「先生、僕は大きくなったらカネもうけするから、億の単位で貸してあげる」と言って驚かせた。「金持ちにならなきゃ」が口癖だった。小学部5年のとき、麻原は児童会選挙で会長に立候補した。落選すると、職員室に行って親しい教諭を教室に呼び出し、その面前で声を上げて泣いた。「先生が落としたんだ。みんなに『票を入れるな』って言ったんだろう」驚いて、教諭は尋ねた。「どうして、そんなごまかしをすると思うの? 智津夫君は、みんなに好かれていると思う?」「うん」「どうして?」「僕は3カ月前も前から、『よろしく』って、みんなにお菓子を配ったから。寄宿舎で出るおやつをためて」 教諭は「この子はとんでもない勘違いをしている」と感じた。すると麻原は泣き腫らした真っ赤な目で、「僕には人徳がなか」 と漏らした。しばらくたってから、配ったお菓子は、ほかの児童から奪ったものだったことがわかった。中学部、高等部でも生徒会長に立候補したが、落選。寮長の選挙にも落ちた。将来の自活のため、地道な努力を重ねるしか無い全盲の仲間たちの中で、いくらかでも外の世界を見ることができて、力にモノをいわせられた少年は、「王様」であり続けた。ところが、選挙には落ち続け、自己顕示欲を満たしきれなかった。そうした複雑な欲求不満を抱えたまま、麻原は75年3月に盲学校を卒業した。最初は眼科医を目指していたが、当時は視覚障害があると医師免許を取れなかったため、断念。卒業して半年ほどたつと、麻原は数人の教諭に電話をかけ、「中国に行って鍼灸の勉強をしたい。漢方薬の勉強もして、中国に東洋医学の研究所をつくりたい。だから餞別をください」と頼んだこともあった。卒業の翌年に麻原が数カ月間働いた熊本市内のマッサージ店主は、こう話す。「大学受験のために、よく勉強していた。熊本大に行くのかと思って聞いたら、『あんなところは、おかしくて行かれん。東大か早稲田に行く』と。自負心が強くて、うぬぼれているところがありました」■宗教とカネ 予備校へ通うため、22歳で東京へ。このころ周囲には、「東大の法科へ行って政治家になる」と話していたという。「代々木ゼミナール」に通い始めてまもなく、通学電車の中で同じ代ゼミに通う女性と知り合った。彼女との間に子どもができると、東大受験を諦めて、78年1月に結婚した。 新婚の二人は千葉県船橋市に「松本鍼灸院」を開いた。同年7月には長女が誕生。9月には鍼灸院を閉じ、市内の別の場所に診療室兼漢方薬局の「亜細亜堂」を開いた。麻原の著書『超能力「秘密の開発法」』によると、麻原が宗教に目覚めたのは、このころだった。鍼灸治療で完治したはずの患者が、元の生活に戻ると、すぐに再発してしまう。その様子を見て、「自分は無駄なことをしているのではないか」という疑問がわいたのがきっかけだったという。<そのとき初めてわたしは、立ち止まって考えてみたのである。自分は、何をするために行きているのだろうか、と、この"無常感"を乗り越えるためには、何が必要なのだろうか、と> こうして麻原は運命学や漢方、仙道(仙人の術)に熱中するようになった。亜細亜堂は繁盛したが、80年7月、健康保険薬剤不正請求で670万円を追徴され、閉店した。近所の医者から白紙の処方箋を入手し、適当な金額を記入しては、健康保険組合などに調剤報酬などを不正に請求していたのだ。 閉店の1カ月後、麻原は阿含宗に入信。さらにヨガや「肉体修行を通じて個人的な解脱を目指す」小乗仏教的世界にのめり込んだ。81年2月には「BMA薬局」を開業したが、翌82年7月にニセ薬を売った薬事法違反容疑で逮捕された。煎じたミカンの皮などから取り出したエキスを「万能薬」と称し、「リューマチ、神経痛、腰痛が30分で消える」などという謳い文句で都内の高級ホテルの一室に人を集めて10万円近く販売。売上は1千万円以上に膨らんだ。麻原は略式起訴されて罰金20万円を支払い、再び店を閉じた。この二つの事件を振り返ると、盲学校時代に垣間見えた麻原の危うさが肥大し、はっきりと形になってきているのがよく分かる。 麻原は、カネへの執着の強さから、27歳で詐欺師になり果てていた。(年齢肩書などは当時)*選挙での惨敗が麻原彰晃を凶行へ… 背景に幼少時代のトラウマ 







2018/07/08 6:14:44|歳時記(花鳥風月)
潜伏キリシタン世界遺産に=長崎など、国内22件目!。
潜伏キリシタン世界遺産に=長崎など、国内22件目−ユネスコが登録決定  バーレーンの首都マナマで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会は30日、日本が推薦していた「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)を世界文化遺産に登録すると決定した。文化庁が同日発表した。 国内の世界文化遺産は、昨年の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県)に続き18件目。自然遺産を合わせると22件目。登録されるのは、キリスト教が禁じられた江戸〜明治初期に、既存の社会、宗教と共生しながら信仰を守り続けた潜伏キリシタンの集落や、島原の乱の舞台となった原城跡(長崎県南島原市)、国宝の大浦天主堂(長崎市)など12件。 事前審査したユネスコの諮問機関は、「禁教期にもかかわらず、ひそかに信仰を継続した独特の文化的伝統の証拠だ」と評価した。政府は当初、キリスト教伝来から弾圧を経て復活するまでの歴史的価値を伝える「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、2015年に推薦書を提出。しかし、諮問機関から日本の特徴である禁教期に焦点を当てるべきだとの指摘を受け、いったん取り下げて構成資産を絞った上で、17年に再推薦していた。 奄美・沖縄地方の4島(鹿児島、沖縄両県)も自然遺産に推薦していたが、5月に諮問機関から「登録延期」との勧告を受けて取り下げた。今年2月に文化遺産として推薦した「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の審査は来年行れる。