!◆◆ はいで ブルガリア ◆◆!

ブルガリアについて、お国柄事情、日本との違いについて写真を中心に紹介します。その他、ちょっとした話題もね・・ ≫
 
2006/02/05 23:49:44|その他
ブルのあんなこと、こんなことシリーズあいうえを第6回
○「ブルのレンダーには、祝日が載っていない??」(写真左)
  いえいえ、よーく見ると祝日は載ってました。でも、日本よりもかなり少ないです。それでは、日本人よりもたくさん働いているの?いえいえ、夏のバカンスは1ヶ月近く、12月もクリスマス休暇で、羨ましいほどしっかり休みはあるのです。
  ブルでは、カレンダーでは普通の日が、急に祝日に変わることもあるのです。いつもあるといことではないと思いますが、ある年の5月だったでしょうか。木曜日が祝日でした。その1週間前に国民議会で急に、その翌日の金曜日を祝日として木曜日から連休にするということが決定されたのです。臨機応変でいいですねえ。
 
○「乾燥品(んそうひん)・乾物(んぶつ)が重要」
外国で暮らせば、日本食が恋しくなります。そんなとき、長く保存できる缶詰、乾燥品は本当に貴重です。日本からもっていった缶詰など、期限が切れてからもよく食べたものでした。 
  乾燥品と言えば、ブルのシュケンベ・チョルベ(※)のインスタントスープがあります。たくさんブルで購入してきたものが、とうとう最後の1袋。(写真中)
 ※シュケンベ・チョルバ (ブルガリアに行ったからには、一度はご挑戦あれ!!「シュケンベ」とは、臓物のこと。スープ自体は、白い色をしています。とってもクセのあるこの味にヤミツキになる日本人も多し。特に、2日酔いには日本人もブル人も、これが一番!と文句なしの推薦。必ず一緒に付いてくるニンニク酢とトウガラシの粉を入れるとまた1味違って、1皿で2度楽しめるお得なスープ。)

○「環境(んきょう)にも配慮。」
旧体制下の社会主義のときに、社会資本はかなり整備されていた国ですが、ソ連の崩壊とともにブルの自由市場へと移行し、90年代は再構築の時期でした。しかし、2007年にはEUに加盟予定になるまでの国に復活しつつあります。
EU加盟交渉では、いくつか最後までもめた交渉事項がありましたが、「環境」に関しても最後までなかなか合意できなかったものの一つでした。
写真右はゴミが散乱したダストボックスですが、このような光景はなくなることでしょう。

○「我慢(まん)、不満・・・」
 5月下旬に2週間給湯が止まりました。毎年1回恒例のことで、地域熱供給施設のオーバーホールのためとか。この2週間は、各家庭に備え付けの(備え付けのない家庭は、2週間お湯が使えないところも)給湯タンクでお湯を沸かすことになります。シャワーも1人が使うと、次に温度が40度まであがるには、1時間以上待たないといけないなど。毎年ながらこの時期はお湯が使えないのはしょうがないのですが、今年は局地的に予告無しの断水もこの時期だけでも数回ありました。なぜ出ない?いつになったら、水は出る?誰に聞いても、「ネズナム」。トイレの水も、流しの洗い物も、洗濯も・・・。1Fは、ちょぼちょぼ出ていても、うちは、1滴たりともでません。そして、夜11時になると、急に水が出てくるのです。
 ブルに来た当初は、途上国だから・・・・、日本じゃないから・・・。と思っていた我慢も、他の不自由なことも重なって、不満がたまってきたのかなあ。そういえば、赴任当初は、日本に帰国する方々がうれしそうな顔をされているのを見て、「なぜ、そんなにうれしいのか?」と感じたことを思い出し、だんだん、「なるほど」と同感するような気持ちに。
 そんなこともある日々ですが、しかし、昨日トイレの換気扇が壊れて、アパートの事務所に修理を頼みに行きました。どうせ、見に来るのは、2〜3日たってからで、その修理が終了して使えるようになるのは、2週間後というのが、今までの相場でしたが・・・。なんと、昨日のうちに見に来て、昨日のうちに修理が完了。これには、びっくりしました。アパートは、半分国有の会社が経営していたので、サービスは悪く、部屋の質も悪く、値段も高く、評判はそれは悪いものでした。1〜2年前から民営化が開始され、ごく最近の新聞では、本格民営化のために入札という記事もあり、なるほどと思った次第です。                    (ブルで生活していたときの感想でした)

○「開催日(いさいび)は注意・・・」
 この国、サッカーは人気のスポーツですが、治安当局もフーリガン対策には頭を悩ませているとのこと。日本人でも被害が出たことがあります。サッカー開催日は要注意です。
 また、公共交通機関でのスリ被害は相変わらずだと思います。トラム、バス等で妙に近寄ってきたら、勇気を出して、人をかき分け、他の場所に移動することが必要です。
                     
○「誰でも開業(いぎょう)できる・・?」
 ブルで住んでいたアパートの近くに、小さなお店がオープンしました。昔からあって、壊れていたところに再開されたようです。赤ちょうちんこそ、ないですが、ちょっとビール一杯、またお昼のランチにと、気軽に利用できます。また、その他の場所にも、こんなところに・・・。道ばたに・・・。道の脇の半地下に・・・。と、カフェ、お店、たくさんあります。調べたことはないですが、人口の割に随分、食事ができる店は多いような気がします。外食する人が多いのでしょうか。また、保健所の認可も必要なく、簡単にお店が開けるのかもしれません。ハイパーマーケット「メトロ」で材料を購入し、あとは簡単に商売が・・・・。







2006/01/29 22:31:53|その他
ブルのあんなこと、こんなことシリーズあいうえを第5回

1.好み焼き
 私は、今年の1月3日、川越喜多院のだるま市に行きました。その時、屋台、出店がたくさん出ていました。お昼も過ぎていたのでお腹が空いて、「広島焼き」を食べたのですが、ブルで食べたがお好み焼きを思い出しました。
 それは、ソフィアにある、「お好み焼きレストラン」という名前です。2002年の12月にオープンしたかと思います。日本人の経営ではありません。日本にいる友人からはオタフクのソースを送ってもらっているようです。また、BGMも日本の歌謡曲などを流しています。
 さて、メニューですが、サラダ、焼きそば、お好み焼きなどあります。調理したものが出てくるのです。サラダは冷製ではなく、炒め物です。焼きそばは、麺がスパゲッティー麺を使っています。イタリアの麺は様々な太さのものがありますが、ブルででも持っていった醤油、鰹節だしなど使って、うどんとして食べました。お好み焼きも豚肉、鶏肉などいくつかの種類がありました。変わり種は、「ちょんまげ」、「まわし」。ロール状にした肉に野菜などが巻かれたものだったか・・・。日本のお好み焼きには、程遠いかもしれませんが、これはこれとして食べれば、結構おいしいかも。
 箸が出てくるのですが、日本で販売している紙に入った割り箸を、使用しては乾かして使っているようです。毎回、紙に入った割り箸が出てくるのですが、最初から2つに割れた使用済みの割り箸が出てくるのです。
 残念ながら、メニューの写真はありません。

2.みやげ
 観光地のおみやげ屋の写真(写真上)です。お皿が並んでいるのは、リラ僧院のお土産です。もう一つの写真は、民族衣装など売っていますね。(写真下)

3.温泉>(んせん)
 ブルの温泉??ブルには、500以上の温泉があると言われていて、温泉は有名なのです。でもブルの温泉は、治療としてまた、療養として利用されているのです。水着をつけて入るのが一般的です。効能も結構あるらしく、あまり長く入っていると逆に体に悪いと言われ、すぐ出なさいと言われる場合もあります。日本の○○温泉センターとは、全く異なり、似ても似つかないものです。廃墟と化した病院のようなところもあります。
 ブルには活火山はありませんが、温泉はたくさんあります。地熱の資源もあります。温度は低く、発電に使える代物ではないそうです。でも、80℃以上の温泉から、ぬるめの温泉までたくさんあります。ブル南部の有名なサンダンスキーという町には、大きなホテルがあり、そこの温泉も有名です。ギリシャからもたくさんの観光客が来ています。 
 ブルの温泉がもっと有名になって、日本からの観光客もたくさん来ればいいですねえ。バラの花びらを散りばめた、「バラ風呂」なんかお肌に良さそうですねえ・・。
 写真(写真中)は、ソフィアから車で2時間ほどの町(セパレルバーニャ)にある間欠泉です。この近くにも温泉に入れるところがあります。








2006/01/22 0:19:19|その他
ブルのあんなこと、こんなことシリーズあいうえを第4回
1.円形劇場んけいげきじょう)
 プロブディフには、ローマ時代の円形劇場跡があります。ブルの第2の都市、プロブディフの旧市街の断崖にあるものです。3,000人が収容できる立派な劇場で、現在も夏には野外劇が開催され、実際に使われているのです。白い石材は大理石で、おそらく遠くから運ばれたのでしょう。この街は14世紀のオスマントルコに支配されてた頃の古い町並みも保存され、また時代を異とする紀元前のローマ帝国に支配された頃の遺跡も混在する歴史遺産の街です。

2.援助んじょ)
「琴欧州」がヨーロッパ出身の力士と日本ではよく言われていて、このことについては、ブルにとってみれば、たいへんうれしいことなのです。遠い日本から見れば、地理的にもブルはヨーロッパの一員と見れるものです。しかし、ブルはEUには未加盟であり、EU加盟はブルにとっての悲願でした。これも、来年には実現することになりそうで、本当の意味でのヨーロッパの一員となるのです。でもでも、でも、この国、人口は800万人を割っていて、日本の大阪府ぐらいの規模でしかなく、経済成長は右肩上がりということですが、平均月給が2万円にもいかない国なのです。
 このようなことから、ブルは日本をはじめとする先進国から援助を受けている途上国なのです。いわゆるODA対象国なのです。環境対策、インフラ整備などの他、農業分野、経済分野の日本人の専門家や青年海外協力隊の派遣、また、特に地方の貧しい街の福祉施設に対する草の根支援など、広範囲に渡っているとのことです。資料によればこれまで600億円以上の援助が日本から行われているということです。
 写真は、日本の援助により設備が提供されたという説明のプレートです。

3.映画いが)
 ブルの首都ソフィアの郊外に映画の撮影所があります。ここはソフィアで象徴的なビトシャ山の山麓にあります。海外映画製作会社のワンシーンのためにロケ地として撮影に使われたり、ハリウッドからも来るそうです。聞いた話によると、思いっきり火薬も使えるし、人件費は安いし、背景の自然は過去の時代設定にピッタリということのようです。電柱がない、山村の道路に原動機のタイヤ跡がないだけではないでしょうが・・。
 映画に関連した話しを一つ。写真の映画は、全編ブルガリアロケの映画「アイ・アム・デビッド」 です。デンマークのベストセラー小説を映画化した感動作です。強制収容所で過酷な幼少期を過ごした少年が、さまざまな出会いや冒険を経て生きる喜びを取り戻していく物語。 50年代のブルガリア。幼いころに家族と別れ、強制収容所で育ったデビッドが、ある男から指令を受け、収容所を脱出。やがてやさしい 老女ソフィーとの出会いを通して、その指令に隠された秘密を知ることになるという映画です。この映画は、昨年上映されたものです。あしからず。http://www.walkerplus.com/tokyo/tv/latestmovie/mo3193.html
 写真は、映画の1シーンでしょうか。このようにひまわり畑が広がっている景色は日常です。







2006/01/15 0:48:26|その他
ブルのあんなこと、こんなことシリーズあいうえを第3回

 本日は、ブルの自動車の運転(んてん)について。
 ブルの運転に関しては、一般的に荒いです。特に、黒塗りの大型ベンツなど、スキンヘッドのマフィアのようなおっさん・・・。普通の車も、信号を守らない車、一車線なのに車間が空いていれば容赦なく、すぐに前に入り込む車。でも、そんな左ハンドルの環境のブルで運転するのは、そう難しくありませんでした。それはなぜかと言うと、二輪のバイクはあまり走ってないし、歩行者と車が走るところは分かれているし、車優先の世界で、歩行者の信号が青でも車優先の世界だし、それに、遅くてボロの車は速い車に道を譲るように、ちゃんと端の方によけてくれるのです。
 最初に日本の運転と違うなあと思ったのは、信号(写真上)が青から黄、赤に変わるときに、日本では黄色はまだまだ、赤に変わっても走り抜ける車がいます。でも、ブルでは、黄色でもしっかり止まるのです。うっかり、日本のように走っていると、追突してしまうことになります。これは多分、次の理由からでしょうか。庶民は警察に弱いのです。黄色でも止まらないと警官に取り締まりを受けてしまいます。また、信号が変わる間隔が短いからでしょうか、黄色の時間も短いし、赤の時間もけっこう短いのでそんなに停車時間が長くないからかも。
 そうそう、ブルの信号は赤から青に変わるとき、黄色もつくのです。赤から直接、青に変わるのではなく、赤がついて同時に黄色もついて、そして青に変わるのです。多分、今もそうだと思いますが・・・。
 それからブルの道路は、穴ぼこ多く、センターラインも消えているところが多く(写真中)、どこを走ればいいのかたいへんです。
 ところで、ブルで走っている車はすべて外車です。だって、ブル生産の車は走ってないだもの。昔はあったとか。この車(写真下)は、ブルでたくさん走っているロシア製「ラダ」です。この写真のものは、とっても磨きをかけてきれいですが、普通走っているラダは、こんなのよく動いているなあと思えるほど、骨董品のようなうす汚れたのが多いです。そういえば、よ〜く見かけました。このラダが、田舎道を一生懸命走っている姿。運転席はベンチシートでこの小さな車に4人、5人もぎゅうぎゅうで乗っかって。また、ラダの屋根に、街に売りに行くのか、じゃがいも、キャベツなどの束をたくさん乗っけて、走っている光景。これがブルの経済を支えているのね、と思いました。







2006/01/09 23:41:26|その他
ブルのあんなこと、こんなことシリーズあいうえを第2回「

「あいうえを」シリーズ第2回の本日は、「」です。
1.コンとは、キリスト聖母、聖徒、殉教者などの画像とされています。ビザンチン美術の一表現で6世紀に始まり、11〜17世紀に特にロシアで盛行したものとされています。イコンは、ソフィアの教会の博物館にたくさん展示されていたり、また土産品などとして売られていたりしています。
 イコンを抱けば、火の上も裸足で大丈夫というショーもソフィア近郊のレストランで行われています。

2.市場(ちば)をブルでは「パザール」と呼びます。野菜、果物、肉などの食料品をはじめ、衣類、電化製品なども売っています。そういえば、大型スーパーは、最初は白菜なんて置いてなかったんですが、そのうちいつのまにか普通に販売されていました。扱う商品がどんどん変わるとともに、ブルの景気もよくなっていったのですねえ。
 でも、よく見ないと腐っている野菜、形は不揃いであったり、パンなんか、買って1日もたたないうちにカビが生えたりするものもありました。逆に、防腐剤が入ってなく、新鮮だったってことかしら・・。

3.今年は、犬(ぬ)年なので、年賀状その他で犬の写真は、いたるところでご覧になっているだろうと思いますが、もう少し・・・。
 余談かもしれませんが、この犬は日本から連れていかれたモモちゃんです。3年間、ブルにいました。ケガをして病院に行ったり、獣医のドクターに預けられたり、いろんなことがありましたが、日本に戻ってきました。