!◆◆ はいで ブルガリア ◆◆!

ブルガリアについて、お国柄事情、日本との違いについて写真を中心に紹介します。その他、ちょっとした話題もね・・ ≫
 
2006/03/11 14:38:37|その他
今日のソフィア(3月11日)
ブル特派員(OKタクシードライバーさん)からの今日のソフィア画像です。今日は、ソファでも町の中心から空港よりのイズトック地区(東地区)の様子です。
 ここには、オフィスビルがあったり、外交団アパートがあったりします。こののっぽの建物は、16階建てで日本人が設計したとか・・・。この界隈は、日本人もよくみかけるえりあです。黄色の車がタクシーです。もうすぐ地下鉄の駅もできるとのことで、現在、地下鉄工事中です。







3月の風物詩「マルテニッツァ」

もうすぐ、春の訪れを告げるこのマルテニッツァ。詳しくは、後程ね・・・・・。
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「チェスティータ・ババマルタ(おめでとう、マルタおばあちゃん!)」
雪国に住んでいると、3月は陽射しも1日毎に春を感じさせてきますし、雪解けの水に眩しい光が反射すれば、なおさらもうすぐ春なんだという季節感を味わうことができます。ブルにおいても、この季節、モノトーンの世界からカラーの世界へ変わる春の到来を告げる季節でもあるのです。

この時期、家族や友達、大切な人同士でマルテニッツァを交換し合います。マルタとは3月のことで、この月だけは女性であり、日本で言うのであれば「弥生おばあちゃん」というところでしょうか。
マルテニッツァというのは、白糸と赤糸でできたお守りのようなもので、手首に結んだり、衣服にとめたり、自分の身のどこかにつけておきます。この習慣はとても古く、今でも人々はこの伝統を守っています。マルテニッツァを贈り、身につけることによって、その年の健康と幸せを願い、春の訪れを喜ぶのだそうです。赤い糸は邪悪なものを遠ざけ、白い糸は健康・長寿・平安を意味します。

 マルテニッツァも色々な種類があって、とてもシンプルなものから、ねじれた棒状のものやボンボン飾り、ブレスレットや、人形をかたどったものなど、とにかく白と赤の糸でできていればいいようです。2月になるとお店や路上で手作りマルテニッツァを売り始めます。結構個性的なものもあって、見ているだけで楽しくなります。
 マルテニッツァはコウノトリ(ブルでは、結構見ることができます。電灯の上に巣を見つけることができます。でも正確には、日本のコウノトリと全く等しい部類ではないようです)を見つけたら、日本のおみくじのように木に取り付けます。

 この時期、日本でもマルテニッツァをつけている人を見たら、ブル関係者に違い有りません。







2006/02/25 22:01:50|その他
ブルのあんなこと、こんなことシリーズあいうえを第8回「
「ブルにランドキャニオン?」
 ソフィアから車で3時間ほど北北西方向に向かったところに、一風変わった岩石群が見られます。ブルの他の地域は、高原状の牧草地、2000m級の山岳地域がある中、この地域だけは特別な風景を醸し出しています。日本人向けの観光商品にも含まれず、メジャーな観光地とは言えないかもしれません。でも、石灰岩、泥岩、またそこに貫入してきた火成岩が織りなす自然の遺跡、この岩石群はベログラチックという町にあります。長年の風蝕によって、その姿は猿の顔のような、背中合わせの2人の姿、お坊さん、鷲やライオンなど、想像するだけでも楽しいものです。この自然の大地の絶景を眼下に見渡すことを可能とするホテルもあり、夏の夕陽をこの壮大な岩石群が飲み込むときに、ブルのビールを片手に・・・・。(ぐいっとジョッキを傾ける人々の姿が脳裏に焼き付いています)
 ※写真上は、左から、要塞であった遺跡、岩石群の絶景、想像にお任せの岩

しゃみをしたときは・・・」
 ブルでは、誰かがくしゃみをするとくしゃみをした人に向かって「Наздраве !!」(ナズドラーベ)と言います。「Наздраве !!」は、誰かがくしゃみをしたときの「お大事に」という決まり文句になっています。くしゃみと同じく、今は「乾杯!!」という時にも使われています。ブルの人はお酒を飲むとき、「Наздраве !!」と言いながら、相手の目を見ながら乾杯します。
「お大事に」と「乾杯」という言葉が、同じ「Наздраве !!」というのも面白いですね。米国でも、欧州でも誰かがくしゃみをしたときに、「幸多かれ」「乾杯!!」と同じような言葉が使われていますね。
でも、ブルガリアではくしゃみをするときに油断は禁物です。ボーっとしている場合ではありません。「Наздраве !!」だけかと思いきや、そのあとに続けて「1・3・5」のように数字を言われる場合があります。数字はランダムにそのときに思いついた数字を言うようです。
 私は遭遇したことがなかったのですが、くしゃみの後に、数字を言われたらすばやくその数字を足すのを忘れてはいいけません。例えば、1+3+5=9、この場合は、キリル文字の9番目の文字の名前の人が自分のことを考えているということになります。9番目は「И」(イ)なのでИван(イヴァン)さんが自分のことを好きなのかもしれません。親戚のИванおじさんが自分のことを心配しているのかもしれません。「イ」だから日本人だったら井上さんかも?
さすがは、世界の中でも優秀といわれる国民だけのことはあります。ただ「お大事に」というだけでなく、くしゃみをした本人に計算をさせるとは!ブルの人は非常に計算も速いし、どのアルファベットが何番目かもみんな記憶しています。こんな計算は朝飯前のようです。

「車(るま)のナンバー」
 もうすぐ、我が町川越の文字が入った「川越ナンバー」が出現します。今は、この地域は「所沢ナンバー」です。日本では、自動車検査登録所は、93カ所あります。その数だけの異なる地名のナンバープレートがあるということでしょうか。ブルも地名を記載したナンバーになっています。最近は、キリル文字のナンバーがめっきり減りました。
 それでは、在ブルの方必携のリストです。「これさえあれば、ブルの車を見ても飽きない。自動車ナンバープレートの地域表示」
E:ブラゴエフグラッド  A:ブルガス  BP:ブラッツァ  BT:ベリコタルノヴォ  BH:ビディン  K:カルジャリ KH:キュッセンディール  OB:ロベッチ  M:モンタナ  PA:パザルジック  EH:プレヴェン  PK:ペルニック  PB:プロブディフ  PP:ラズグラッド  P:ルセ  CC:シリストラ  CH:スリヴェン  C:ソフィア  CO:ソフィア県  CM:スモーリャン  CH:スタラザゴラ  T:タルゴビシュテ  H:シューメン  X:ハスコヴォ  Y:ヤンボル  この他、ガブロヴォ、ドブリッチのナンバーがあると思いますが、不明です。
 ※写真下は、車のナンバーは「C」なので、ソフィアです。








ブルのあんなこと、こんなことシリーズあいうえを第7回
「紀元前(げんぜん)からの歴史」
 ブルの歴史は、紀元前1000年にまでさかのぼります。ブル人の故郷は、中央アジアのパミール高原、ヒンズークシ山脈あたりと言われています。日本人のルーツも同じ中央アジアとも言われていますので、ブルと日本は同じ祖先であったかも。それを裏付けるように、日本人の子供によく見られる、おしりの青いあざ(蒙古斑)は、ブルの子供にも見られるということです。
 紀元前から、古代ブルガリア人は中国、インド、ペルシャなどと交流していました。やがて、西方に向かいアルメニア人、ユダヤ人、スラブ人などと交流しました。9世紀のヨーロッパの地図には、3大帝国が存在していました。その1つは、今のブルに広がっています。
 民族移動しながら国を形成していった古代ブルガリア人が、文化面にもたらした成果は数多いと言われています。外国に対しての公正と寛容さ、奴隷制の禁止、紀元2世紀にはすでに自由労働の社会構造をもった国家体制であったということです。
 古代ブルガリア人が国を形成していた、今のブルから黒海、カスピ海を経て北上しウラル山脈で囲まれるヨーロッパ平原の縁は、地理的にも東方からの野蛮人の攻撃に対してのバリケードの役目を果たしてきました。長〜い歴史については、今回は省略しますが、アジアとヨーロッパをつなぐ位置にもあり、気候的にも恵まれていたこのエリアは、侵略・征服を狙った外部の民族が古代から通過する要地でもあり、中世においては十字軍がたびたび通過し、また、ブルの長い歴史の上で最も暗い時代と言われている1300年代から500年に渡って、オスマントルコに支配されました。1876年のブルのオスマントルコに対する蜂起は、オスマントルコのヨーロッパへの進出を食い止めたとも言えるとでしょう。
古くから様々な外部の侵略を受けていたからでしょうか、ブル人は気性(きしょう)は、従順で温厚、日本人にも相当相性がいいと言えます。琴欧州を見れば納得でしょうか。
*写真1−ネセバル(黒海沿岸)の聖ソフィア教会の廃墟(5世紀〜6世紀前半のビザンチン帝国時代に建設されたもの。)
*写真2−紀元前4世紀後半〜3世紀のものとされるトラキア人の墓。フレスコ画が描かれているユネスコの世界遺産に指定されている。中を紹介できないのが残念。

「記念日(ねんび)」
 ブルのあいうえをシリーズ第6回「か」のカレンダーにも関係ありますが、ブルには過去の歴史を語るような記念日があり、祝日になっている日も多いです。

1月1日 新年・元日
3月3日 民族解放記念日
5月1日 復活祭(ブルガリア正教)・メーデー
5月6日 聖ゲオルギウスの日
5月24日 文化の日・キリル文字の日
9月6日 統一記念日
9月22日 独立記念日
11月1日 国家復興記念の日(教育機関休日)
12月24日 クリスマスイブ
12月25〜26日 クリスマス

リル文字」5月24日の記念日にありますキリル文字、ブル人にとって自慢の人物のとして、キリル&メトディ兄弟があげられます。正確に言うと二人が発明したのは現在のキリル文字の原型となる文字である「グラゴール文字」。この兄弟は、東方正教会の僧侶だったのですが、スラブ語圏での布教活動のためにギリシャ文字を元に文字を考案し、862年に作られたといわれています。もともと発明されたグラゴール文字は、後のキリル文字とはかなり形が違ったようです。後にキリル&メトディ兄弟の弟子達が整理して文字を作成し、キリルの名をとって「キリル文字」と呼ぶようになったということです。現在ブルガリア国内で使用されているキリル文字のアルファベットは30文字からなっています。
 現在キリル文字はブルガリア語やロシア語はもちろん、@スラブ諸語(ウクライナ語、ベラルーシ語、セルビア語、マケドニア語等)と、Aかつてロシアの強い影響を受けた旧ソ連内外の諸民族の言語(カザフ語、キルギス語、タタール語、モンゴル語等)に用いられています。また、Bアゼルバイジャン語、ウズベク語、カラカルパク語、トルクメン語は、旧ソ連時代にはキリル文字が使用されていましたが、独立後ラテン文字が採用され徐々に切り替えられつつあるようです 。
*写真3−キリル文字原形に近いもの(ソフィア国立博物館)
*写真4−ソフィア大学(隣には、National Library(St. Cyril and Methodius)(国立図書館「聖キリルとメトディ」) があります。)








2006/02/08 1:36:28|その他
今日のソフィア
ブルから特派員(「OKタクシードライバーさん」)からの報告です。

今年のソフィアの冬は、ここ2,3年で一番寒く、雪も多いです。
2週間位前には、最低気温が-20度、最高が-10度前後の日が4〜5日続きました。