≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/05/09 12:56:03|その他
喜多院「小僧に化けた狸」伝説
 むかしのお話です。喜多院の住職で実海僧正(第14世)といわれるお坊さんがおりました。お坊さんは大変徳が高く、たくさんの人から慕われておりました。ある時、実海僧正が本堂でお経をあげていると、見慣れない小僧が現れ、「私は新三位と申します、どうか弟子にしてください。」と言ってお堂の隅に座り込み、一緒に拝み始めました。それからというもの僧正の行くところには必ずついて行き説法を聞いたり、掃除洗濯と毎日かかしたことがありません。夜は皆が寝静まってから学問にいそしみ、そんな毎日がつづきましたが、くじけませんでした。
 ある日、寺男がなにげなく新三位の部屋をのぞくと、なんと一匹の狸が疲れた様子で寝ていました。寺男がびっくりして大声を出しますと、狸はびっくりして目を覚まし、正体がわかってしまったことに気づき、僧正さんのところに行き、「私は古くから喜多院の床下に住む狸です。僧正さんの説法を聞いていると心が動き、弟子になって修行したいと頑張ってきましたが、正体がわかってしまい、もう、ここにはいられなくなりました。今までの御恩は忘れません」と言って床下に姿を消してしまいました。喜多院の床下には大きな穴がいくつもあり、それがあちこちに続いているそうです。(川越市教育委員会発行 新川越の伝説より)
 







2020/05/09 12:40:05|その他
喜多院の「鐘楼門の鷹」伝説
 喜多院の境内にはいつも鳩がたくさんいます。町の人たちもわざわざ餌を買ってきて与えています。鳩はお寺の中で、わがもの顔で遊びまわっています。
  ある日のこと一羽の鳩が鐘の吊るしてある赤門(鐘楼門)の屋根で遊んでいました。そしていつものようにいたずらを始めました。その時です。大きく羽ばたく音がして鋭い目をした鷹がにらんでいるではありませんか。鳩はびっくりしてみんなのところに逃げ帰って、その報告を受けた鳩たちは全く信じず大勢で出かけました。赤門を見ますと鷹が二匹いるが木でできた彫刻です。鳩たちは安心して、全員でいたずらを始めました。その時突然、彫刻だと思っていた鷹が羽を広げ鳩たちを襲ってきました。その怖さで一目散に逃げ帰り、以来決して鐘楼門にだけは近寄らないということです。この彫刻は飛騨の名工「左甚五郎」の作と伝えられています。(川越市教育委員会発行の続川越の伝説より)
 







2020/05/06 20:19:00|その他
仙波東照宮(川越)「石灯籠の小石」
喜多院のすぐ隣に東照宮があります。そこにたくさんの石灯籠があります。どの灯篭にもかならず小石が積まれています。これは願いことがある人がそっと小石を積み上げて願をかけますとご利益があると言われます。それというのは徳川家康公は、若い頃から苦労に苦労を重ね天下をとったということから、石をつむことで、諸々の困難をはねのけ無事願いをかなえてくれるという、小石積み上げの信仰になったのだそうです。
 石灯籠はすべて歴代の川越城主が奉納したと言われています。
(川越市教育委員会発行の新川越の伝説より)
 







2020/05/06 18:20:47|その他
喜多院の「三位稲荷」伝説
むかし・昔のお話です。喜多院に三位という味噌すりの小坊主がいたそうな。ある日のこと、師のお坊さんが用事のため、神通力で天狗になり、空に飛び上がりました。見ていた小坊主は「和尚さんに仕える身なら私も飛べるだろう」とすりこ木を放り出し、そばにあったほうきを手に杉の木に登り、ほうきにまたがって、とびました。たちまちのうち根元に落ち命を落としました。師のお坊さんは哀れに思いその場所に祠をたて「三位稲荷」として崇めたということです。
(川越の伝説の中から)(概要)







2020/05/06 17:49:55|その他
喜多院の「どろぼう橋」
喜多院の裏側の橋が「どろぼう橋」と呼ばれています。むかし町中で泥棒をはたらいて、町方に追われ、この橋を渡り寺に逃げ込みました。寺の中は町方には踏み込めず、どろぼうは、お大師様のもとで改心し善人となったと言います。そして、以後この橋をどろぼう橋と呼ぶようになったということです。(概要のみ)
川越市川越の伝説より