≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/05/18 15:24:00|その他
川越日枝神社の「底なしの穴」伝説
喜多院の山門の正面に日枝神社があります。ここの本殿は、国指定の重要文化財に指定されています。ここの神社の狭い境内には昔から「底なし穴」と呼ばれる大きな穴がありまして、覗き込んでも決して底が見えないくらい深い深い穴でした。
ある日のこと近所に住む人たちが「いったいこの穴はどれくらい深いもんじゃろうかしりていな」「ひとつ、物をほうりこんでみるべえか」と相談しまして、鍋を投げ込みました。そして、耳を澄ましますが、落ちた音が聞こえてきません。それではと、お椀や下駄などをつぎからつぎへ投げ込みましたが、やはり音が聞こえてきません。「いったいどうなっているのだろう」とみんなでのぞいていると、1キロくらい離れている「双子池」(龍池弁天)の方からやってきた人が「お〜い、みんな池にうかんでいるぞ」といいますので行ってみますと日枝神社で投げ込みましたすべてのものが、浮かんでいるではありませんか。人々はいまさらながら不思議な穴に驚き、誰言うとなく「底なしの穴」と呼ぶようになったという伝説です。(川越市教育委員会発行の続川越の伝説より)
 
※仙波七不思議伝説の一つに「無底抗」の昔話があり、この日枝神社の坑井にお札を納めると、翌朝1キロ離れた仙波下の弁財天の泉に浮くとの伝承がある。
 
 







2020/05/17 10:17:01|その他
仙波愛宕神社(芭蕉の句碑)







2020/05/16 20:13:00|その他
明星の杉と明星の池伝説(川越)
 むかし尊海という偉いお坊さんが京より勅命を受け、関東の地へ仏法を広めるため、牛車に乗って仙波あたりまで来たとき、小川にかかる橋のところで牛が立ち止まり、動かなくなってしまいました。 そこでお坊さんはこの地には何かあるのだと信じ、その場に留まることにしました。
 その夜のことです。不思議な光が近くの池の中からこうこうと輝き、あっという間に舞い上がり明星となり、老杉の梢にとどまり、キラキラ光輝きました。お坊さんはまさしくこの地こそ仏法の霊地に違いないと思い、よく調べてみますと、仙芳仙人とか慈覚大師という偉い僧が修行をつんだところだとわかり、そこに堂を建て仏法を教えるところとしました。そして、喜多院の山号を明星が輝いたことにちなんで「星野山」と呼ぶようになり、また、明星の輝いた池を「明星の池」明星がとどまった老杉を「明星の杉」といいます。
「明星の杉」の場所は、山門横の駐車場北側に「明星の杉跡」として杉が二本植えられこの伝説は今も継承されています。
(川越市教育委員会発行の川越の伝説より)
 
 







2020/05/16 10:35:51|その他
おびんずるさま(賓頭盧尊者)
おびんずるさま(賓頭盧尊者)はお釈迦様の十六人の偉いお弟子(十六羅漢)の一人で、若い時は勝手気ままな暮らしをしていましたが、お釈迦様にめぐりあって発心し、出家修行して神通力を得、阿羅漢(世に尊き人)となりました。
それからは、その神通力を用いて、病気の人や体の不自由な人を助け、欲の深い人や意地の悪い人を懲らし、心に悩みを持つ人のためには、仏様の教えを説いて、多くの人をお救いになりました。
中国や日本のお寺に、おびんずるさまの像が祀ってあるのは、おびんずるさまの体に触ってその手で自分の体をなでれば、病気が治り、頭もよくなれば節々も軽くなるという、おびんずるさまの霊験(不思議なご利益)が、今も尚深く信仰されているからです。
蓮馨寺のおびんずるさまは、大勢の人に撫でられますので二十五年に一度塗り替えをいたします。
(蓮馨寺の記載文より)
霊験あらたかなおびんずるさまが、なぜ、本堂の入り口(外陣)におわすのでしょうか
言い伝えによりますと、神通力をを勝手気ままに乱用したため、お釈迦様に叱られて、涅槃(すべての煩悩から解き放たれた境地)に入ることを許されなかったからということです。
しかし、外陣にいるからこそ、私たち俗人が気軽に触れることができるのですから、お釈迦様のいきな計らいでしたでしょうか。
蓮馨寺のほか、喜多院、成田山川越別院にも安置されています。







2020/05/15 15:56:35|その他
琵琶橋伝説
むかし喜多院の中興の祖と言われた尊海僧正がある日弟子を連れて遠出をし、道にまよってしまい、ある小川のところまで来ましたが渡ることができません。困っているとき琵琶法師がやってきました。事情を話すとそれはお困りでしょうと持っていた琵琶を小川に架け渡らせてくれました。その後小川に橋が架かり「仙波琵琶橋」と呼ばれるようになったということです。