≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/05/16 20:13:00|その他
明星の杉と明星の池伝説(川越)
 むかし尊海という偉いお坊さんが京より勅命を受け、関東の地へ仏法を広めるため、牛車に乗って仙波あたりまで来たとき、小川にかかる橋のところで牛が立ち止まり、動かなくなってしまいました。 そこでお坊さんはこの地には何かあるのだと信じ、その場に留まることにしました。
 その夜のことです。不思議な光が近くの池の中からこうこうと輝き、あっという間に舞い上がり明星となり、老杉の梢にとどまり、キラキラ光輝きました。お坊さんはまさしくこの地こそ仏法の霊地に違いないと思い、よく調べてみますと、仙芳仙人とか慈覚大師という偉い僧が修行をつんだところだとわかり、そこに堂を建て仏法を教えるところとしました。そして、喜多院の山号を明星が輝いたことにちなんで「星野山」と呼ぶようになり、また、明星の輝いた池を「明星の池」明星がとどまった老杉を「明星の杉」といいます。
「明星の杉」の場所は、山門横の駐車場北側に「明星の杉跡」として杉が二本植えられこの伝説は今も継承されています。
(川越市教育委員会発行の川越の伝説より)
 
 







2020/05/16 10:35:51|その他
おびんずるさま(賓頭盧尊者)
おびんずるさま(賓頭盧尊者)はお釈迦様の十六人の偉いお弟子(十六羅漢)の一人で、若い時は勝手気ままな暮らしをしていましたが、お釈迦様にめぐりあって発心し、出家修行して神通力を得、阿羅漢(世に尊き人)となりました。
それからは、その神通力を用いて、病気の人や体の不自由な人を助け、欲の深い人や意地の悪い人を懲らし、心に悩みを持つ人のためには、仏様の教えを説いて、多くの人をお救いになりました。
中国や日本のお寺に、おびんずるさまの像が祀ってあるのは、おびんずるさまの体に触ってその手で自分の体をなでれば、病気が治り、頭もよくなれば節々も軽くなるという、おびんずるさまの霊験(不思議なご利益)が、今も尚深く信仰されているからです。
蓮馨寺のおびんずるさまは、大勢の人に撫でられますので二十五年に一度塗り替えをいたします。
(蓮馨寺の記載文より)
霊験あらたかなおびんずるさまが、なぜ、本堂の入り口(外陣)におわすのでしょうか
言い伝えによりますと、神通力をを勝手気ままに乱用したため、お釈迦様に叱られて、涅槃(すべての煩悩から解き放たれた境地)に入ることを許されなかったからということです。
しかし、外陣にいるからこそ、私たち俗人が気軽に触れることができるのですから、お釈迦様のいきな計らいでしたでしょうか。
蓮馨寺のほか、喜多院、成田山川越別院にも安置されています。







2020/05/15 15:56:35|その他
琵琶橋伝説
むかし喜多院の中興の祖と言われた尊海僧正がある日弟子を連れて遠出をし、道にまよってしまい、ある小川のところまで来ましたが渡ることができません。困っているとき琵琶法師がやってきました。事情を話すとそれはお困りでしょうと持っていた琵琶を小川に架け渡らせてくれました。その後小川に橋が架かり「仙波琵琶橋」と呼ばれるようになったということです。
 
 







2020/05/15 9:15:40|その他
日ぎり三体地蔵尊(川越)伝説
新富町の西雲寺には立派な地蔵堂がたっています。お堂の中には木彫りの三体のかわいいお地蔵さまが祀ってあり、由来は一本の棒では不安定だが三本合わせればしっかり立つということだそうです。これは三ツ星(オリオンザ)をかたどったものだともいわれています。
このお地蔵さんがここに安置されたのは、むかし、会津若松のあるお殿様の夢枕にお地蔵さんが現れ「泥深い葦の中に埋まっているので出すべし」とお告げがあり、早速掘り出し、西光寺に安置しました。そのお地蔵様を模して彫刻したものを、ある偉いお坊さんが背負って諸国を行脚し川越にやってきて、西雲寺に納めたということです。お地蔵さまは天然痘にたいへん霊験あらたかで、願をかけるときはお堂の中にある麻縄と塩をいただいて家に持って帰り、縄を首に巻き付け塩を飲みますと、不思議に治るそうです。そしてお礼には麻縄と塩を倍にして納めに行ったという伝説です。(川越市教育委員会発行の川越の伝説より)
 







2020/05/14 9:36:46|その他
久保稲荷(出世稲荷)伝説
久保稲荷様を熱心に信仰している魚屋さんがいました。
ある日のこと商いのことで桶川宿まで出かけて行きましたが、遅くなり一泊することになりました。明日の早立ちの準備をして寝ました。ところが夜中にキツネが現れて「この宿を早立ちするとわざわいがある」と夢のお告げがありました。そこで、日が昇るのを待ってお昼過ぎにゆっくり宿を出ました。すると、途中、娘さんがオオカミに襲われた跡があり、大勢の人が騒いていました。魚屋さんは「もし、早く出たら私が襲われていただろう。あのお告げこそ、久保稲荷様に違いない。ありがたいことだ。」と前よりも増して信仰にはげみましたので店も大きくなり大繁盛しました。それで、「出世稲荷」と呼ばれ、願をかけるとき「稲荷さん、よいお嫁さんをお世話しますから、どうか出世させて下さい」と言うそうです。そして、女の人の描かれた絵馬とか人形を納めるという伝説です。
(川越市教育委員会発行の川越の伝説より)

私も以前久保稲荷に参詣に行った際、絵馬かけに和服の女性が描かれている古びた絵馬を見たことがあります。