≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/05/23 10:45:00|その他
「さいころの1の目はなぜ赤いのか」という理由
 TVのちこちゃんに叱られるの番組で「さいころの1の目はなぜ赤い」という質問でした。結局、番組では「わからない」が結論でした。
 そこで、わたくしの疑問を解くため、インターネットでいろいろ検索してみましたところ、以下の情報を得ましたので、紹介いたします。

サイコロの歴史
 日本では奈良時代(710年–794年)に中国から伝来したものが始まりで、当時は6面体とは別に、棒状のサイコロも広く使われていたようです。
 その後、国内ではサイコロを製造する様々なメーカーが出現。当たり前ですがどのサイコロも同じデザインで統一されていました。そこで和歌山のある製造メーカーが自社の商品であると分かってもらえるよう、サイコロの1の目を赤くしたことが始まりであると言われています。
 以来、日本のサイコロの1の目は赤い色で塗られることが広く浸透し、現在にいたります。これは国内だけに留まっており、海外のサイコロは全ての目が黒で塗られているそうです。 


 







2020/05/22 11:35:22|その他
河越太郎の五輪塔(養寿院)
河越氏は坂東八平氏の一つ秩父氏の出で重頼の祖父重隆のころに川越に進出し、河越氏を名乗った。河越氏は源頼朝が挙兵した当時、敵対していたが、重頼の妻が頼朝の乳母・比企禅尼の娘であったこともあり、後に頼朝方について平氏を追討、鎌倉幕府の樹立に力を尽くした。重頼の娘は、義経の正妻に選ばれ上洛するが、頼朝・義経が不和になると、重頼は誅殺され、所領は没収された。
 この五輪の塔は、河越太郎重頼の墓として養寿院に伝わっている
(小江戸川越観光推進協議会 ・ 鰹ャ江戸川越観光協会)
 
 







2020/05/21 9:21:24|その他
仙芳仙人と龍池弁財天・龍神の池伝説
 その昔仙波の辺は海であった。そこへ仙芳仙人なるものがどこからともなくやってきて「聖人が説法を行った場所は此処だ」と言ってその辺を徘徊していた。そこに海の主である老人(龍神)が現れたので、仙人は「私の袈裟だけの土地でよいから貰いたい」と頼むと「よろしい」と言って袈裟を海の上に広げると海水が干上がり数十里もの土地ができた。その上更に土仏を作り海の底に投げると海水はたちまち乾いて寺を建てられる様な土地が出来、ここに無量寿寺が出来た。現在の喜多院であるという。
 海水が無くなったために、龍神の住む場所が無くなったので、仙人は小さな池を作って、そこに弁天様の祠(龍池弁財天)を祀り、龍神を住まわせたという。
それ以来この地を仙波と呼ぶようになったという。
 喜多院の東側の細い路地を入ると「仙芳仙人入定塚」がある。ここは仙芳仙人が入定したという伝説ある場所である。(入定塚入り口の説明文より







2020/05/20 9:20:44|その他
ガボールパッチ 視力トレーニング方法
今日NHK放送で「ガボールパッチ」という画像の同じものを探すことで眼球を動かす。画像がぼけていることで脳がピントを合わせようと働くという訓練だそうです。 画像を見て訓練しましょう。







2020/05/19 9:52:28|その他
川越の七不思議「城中蹄の音」伝説
 江戸時代になったばかりの頃の川越城主は、豪勇で天下にその名を知られた、酒井河内守重忠候でした。夜が更けて、皆が寝静まるころになると、城中には不思議に「どこからともなく矢叫びや蹄の音がけたたましく聞こえてくる」そんなことが、毎夜のように続きますので、天下の豪勇も怖くなり易者に占ってもらいました。
 そうしますと、城中に何か戦の図があってそれがわざわいしているのだということがわかり、さっそく家臣に宝物館を調べさせましたところ、堀川夜討ちの大戦屏風が一双見つかりました。これが原因かと屏風画を引き離し、半双を日頃から信仰しております養寿院に寄進いたしました。そうしますと不思議にその夜から矢叫びや蹄の音が聞こえず眠れるようになりました。この屏風は今も養寿院の秘蔵として残っているそうです。(川越市教育委員会発行の川越の伝説より)