≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/05/26 11:51:39|その他
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2020/05/26 10:37:37|その他
小畔川 「莿橋(とげはし)」の由来
 むかし、むかしのおはなしです。「でえだらぼう」といいます、山をつくることが得意な大男の神さまがおったそうです。富士山に腰をおろして、ひとやすみしたり、筑波山の男体女体をつくったり日本中を歩いておりました。ある時、秩父の方で山をつくることになり、川越の名細あたりを通りかかりました。
ドシッ! ドシッ! おおきな窪地をこさえながら歩いておりました。ちょうど小畔川の近くまできたときです。とつぜん「いてて……!」とでえだらぼうがうずくまりました。なんと、足のうらに小さな莿がっさっていたのです。さすがのでえだらぼうもこれでは歩けません。すぐ莿をぬきまして小畔川の中ほどにつきさして、秩父へと向かいました。まだ、このころの小畔川は曲がりくねっておりまして川はばも広く、たいへんなあばれ川で、人々はなんとか、うまく渡れるように橋をかけようとおもっていました。ところが川のまん中におおきなクイがうってあるのでびっくり、すぐ村人を集め、りっぱな橋をかけました。あとで、これがでえだらぼうの莿だということがわかり、ありがたいことだと橋の名まえを「莿橋」とつけました。
この莿のクイだけは、どんなに大水がでても、けっして流されはしませんでした。
 







2020/05/25 20:21:48|その他
喜多院の「石の亀」伝説
 喜多院の本堂のうしろに、松平大和守家の墓所がある。いずれも川越在城時代に亡くなった五人の城主の墓である。ここの入口の所に大きな石製の亀がいて、背の部分が破損しているが、首を持ち上げて目をむき、口を大きく開けながら怒りの形相をしている。
 むかし、松平大和守家の家臣の一人が、城主の使いとして喜多院へ来たとき。駕籠に乗ったまま正面の玄関へ横づけした。関東における天台宗の総本山で、かつ徳川家康公を祀った東照宮があるという格式の高い寺へ対し、城主ならともかく、一家臣のとった行動としてはあまりにも無礼であると、とがめられてしまった。家臣は責任を感じて即座に駕籠の中で切腹して果てたのである。
 喜多院や川越藩ではこの純心な家臣に心をうたれ、手厚く埋葬したうえ、石で亀を刻んで霊を弔ったという。
 なお、この石亀は不思議なことに、いくら泥をかけておいても、必ず泥の中から現れてくるといわれ、また天候によっても浮き沈みするという。
 
 







2020/05/24 15:59:00|その他
WHOのマークに蛇が描かれているのはなぜか
 ・ギリシャ神話「医学神アスクレピウス」に由来している。

 ・アスクレピウスは、アポロンの息子の一人で、幼少時より医学に才能を
  示し、診断学・薬学・外科学などを修得し、ついに死者までをも蘇らせ
  るほどの腕となる。しかし、彼があまりにも死者を蘇らせるため、死者
  の国の王ハーデスの訴え により、神々の王であるゼウスによって殺され
  てしまい、死後は天に上げら れて「へびつかい座」となり、神の一員に
  加わった。
 ・彼がいつも「聖蛇が巻き付いた杖」を持ち歩いていたことから、その杖
  がいつしか医学のシンボルとなった。
 ★「アスクレピオスの杖」は、医の象徴として、WHOの他、各国の医師会の
     マーク、救急車の車体、軍医や衛生兵の兵科記章にも用いられている
 







2020/05/23 11:56:03|その他
川越北山田浄国寺の「夜泣き地蔵尊」伝説
  ある家の女の子が病気になったので、浄國寺の本尊に祈願するも、娘は苦しむこと無く息を引き取りました。その49日に、娘に似せたお地蔵様を建立し供養したのが由来だそうです。
  昔、赤ちゃんのカンが強く夜泣きに困った若いお母さんがお年寄りに相談すると「浄國寺のお地蔵さんに願かけをすればよい。最初は3つの泥だんごを供え、願いが叶えれば、白い米の団子を6つお供えしなさい」と云われたそうです。
 その通りにすると願いがかない、それからは子供が病気になったときも怪我をしたときも訪れるようになったそうです。 写真は、そのお地蔵様。
                           川越の伝説(川越市教育委員会発行)より