≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/05/31 11:17:41|その他
天海僧正の逸話
 天海僧正が江戸城で、徳川家光にお目にかかった時、見事な柿がふるまわれた。ごちそうになった天海は、その柿の種を懐紙に包んで持って帰ろうとした。これを見た家光が、「柿の種なぞ何のために持って帰るのか」と聞いたところ「持って帰って植えまする」と答えた。家光は「百歳にもなろうとする老人が無駄な事をするものだ」というと、天海は、「天下を治めようとなさる方が、そのような性急な考えをしてはなりませぬ」といって退出した。
何年かたって、天海が立派な柿を献上してきたので、家光が「この柿はどこの産か」と尋ねると「先年拝受いたしました柿の種が成長したものでございます」と答えた。桃栗3年柿8年という話があることから、さすがの家光も、これにはびっくりするとともに、深く反省されたという逸話があるようです。
これを聞いて私は、「人の寿命はいつ果てるかわかりませんが、その時が来るまで夢を描き続けるべきという教訓かも」と思いました。
 







2020/05/30 11:43:02|その他
川越法善寺「虫食い奴の墓」
 境内を入ると本堂右手前にわずかに梅雨をしのぐばかりの上屋があってその中に奴の墓と呼ばれる石像がある。4斗樽にどっかと腰を据えた中年男の像はちょっと異様な面相をしているがこれが奴の墓だということは奴髷を結っているのですぐにわかる。この奴は松平伊豆守の家臣石川作衛門が召抱えていた下僕で瀬川加右衛門という。生国は上総国だが縁あって川越に住みついた。
 性格はいたって剛強不屈で大の酒好き、酒さえあれば天下泰平で肴などは何でもよかった。「食肉を好み、その美悪を問わず、およそまな板にのらないようなもの」も手当たり次第に平気で食べた。しかも驚くべきことは腐肉が一番好きと言って好んで食したという。それによって中毒は一度もなかったという、恐れ多い人物の様である。たちまち城下の名物になり、いつしか虫食い奴と呼ばれるようになった。奴は無縁のものなので、晩年自ら自分の姿を石像にして墓を建て、元禄6年(1693)この世を去った。法名は浄徳という。この墓は川越の大火で焼失したが、現在のものは、復元されたものだという。しかし、伊豆守の家臣の中には、名だたる人は多くいただろうが、そのほとんどは墓所不明、一家臣のしかも下僕の墓が有名になっているという、人がやらないことをやり、人々に印象を残した人も少ないと思った。







2020/05/29 11:22:49|その他
喜多院の護符「角大師・豆大師」
 川越喜多院では角大師、豆大師と称する護符を出している。民家の軒や柱や門柱などに貼られていたり、竹の先に挟んで田圃の中に立てられたりしている。これは、天台宗の慈惠大師という中興の祖のお姿を写したものである。慈惠大師は正月三日に入滅したので、「元三大師」と呼ばれている。ある時、疫鬼が現れて元三大師を悩まそうとしたが、大師は時に円融三諦(一切存在は空・仮を超えた絶対のものである)を観じ、夜叉の形相になって、欠点、悪い点、過ちなどを責めたので、疫鬼は退散した。そこで大師は自らその形相(二本の角を立てたグロテスクな鬼形)を写し、わがこの像をおけば必ず妖怪の来ることもなく、疫災を払うであろうと宣誓した。
 豆大師の方は大師の彫像を33体写したもので、盗難除けの護符と考えられている。「やっとこに目鼻つければ角大師」「角大師ピンゾロという御ン目玉」など川柳にも登場しているようである。
 







2020/05/28 15:54:37|その他
成田山川越別院「開山堂」 祈ると目を治してしてくれるという
成田山川越別院本行院 開山堂
成田山川越別院本行院は、江戸時代末期に石川照温師によって開創されました。師は幼いころから、波乱に富んだ生活を送る中、両眼を失明しました。絶望の末に三度も自殺を図ったが果たされず、これは神仏がまだ自分をお見捨てにならないからだと信じ、千葉県の成田山新勝寺において断食の苦行に入りました。この修行で、見えなかった両眼が少しずつ見えるようになり、ついに満願のころには全く平癒することができたのであります。そのため不動明王の大慈悲に心から感激した師は、一生を不動明王に捧げようと新勝寺で出家得度しました。
その後、不動明王の御霊徳を世に広めるために諸国巡礼に出ると、各地で師の徳を慕い集まってくる人が増えました。そこで、地元の有力者達が、師にここ川越の地に、安住していただこうと、廃寺になっていた本行院を再興しました。そして嘉永六年に成田山貫首照輪上人が、御本尊不動明王の御分霊を照温師に授与せられました。
これが、成田山川越別院本行院の起源となり現在に至ります。(開山堂前の記載文)
 
この開山堂に眼病平癒・視力回復祈願の「め」と書かれた祈願絵馬が多くかけられています







2020/05/27 16:25:51|その他
川越八幡宮「ぐちきき様」「縁結びイチョウ」
今の世の中、愚痴の一つも言いたい」という人が多いのではないかと思う。しかし、女房の前での愚痴や亭主の前での愚痴になると「家庭不和の原因にもなりかねない」そこで、川越八幡宮の「ぐち聞きさま」の前で、思う存分愚痴って、さっぱりしたら夫婦円満になることでしょう。 
 八幡神社の「ぐち聞きさま」
「ぐち聞きさま」は聖徳太子のお姿です。太子は「一度に十人もの訴えを聞き分けた」と言われています。苦しみ悩む多くの人の救いとなってこられました。
 「ぐち聞きさま」に、自分の悩みを打ち明け、「お守り」を身につけ、心穏やかにお過ごし下さい。と記載の札がありました。 
縁結びイチョウ由来(川越八幡神社ご神木)
平成・明仁天皇がお生まれになった御年の昭和八年十二月二十三日川越八幡神社の崇敬者によって、男イチョウと女イチョウ二本を植樹したが、いつしかその二本の木は寄り添い、一本に結ばれてしまったことに由来する。
固く結ばれた二本の御神木に触れ御守りを身につけ、二度拍手を打つと夫婦円満・良縁に巡り逢うと伝えられている。