≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/05/25 20:21:48|その他
喜多院の「石の亀」伝説
 喜多院の本堂のうしろに、松平大和守家の墓所がある。いずれも川越在城時代に亡くなった五人の城主の墓である。ここの入口の所に大きな石製の亀がいて、背の部分が破損しているが、首を持ち上げて目をむき、口を大きく開けながら怒りの形相をしている。
 むかし、松平大和守家の家臣の一人が、城主の使いとして喜多院へ来たとき。駕籠に乗ったまま正面の玄関へ横づけした。関東における天台宗の総本山で、かつ徳川家康公を祀った東照宮があるという格式の高い寺へ対し、城主ならともかく、一家臣のとった行動としてはあまりにも無礼であると、とがめられてしまった。家臣は責任を感じて即座に駕籠の中で切腹して果てたのである。
 喜多院や川越藩ではこの純心な家臣に心をうたれ、手厚く埋葬したうえ、石で亀を刻んで霊を弔ったという。
 なお、この石亀は不思議なことに、いくら泥をかけておいても、必ず泥の中から現れてくるといわれ、また天候によっても浮き沈みするという。
 
 







2020/05/24 15:59:00|その他
WHOのマークに蛇が描かれているのはなぜか
 ・ギリシャ神話「医学神アスクレピウス」に由来している。

 ・アスクレピウスは、アポロンの息子の一人で、幼少時より医学に才能を
  示し、診断学・薬学・外科学などを修得し、ついに死者までをも蘇らせ
  るほどの腕となる。しかし、彼があまりにも死者を蘇らせるため、死者
  の国の王ハーデスの訴え により、神々の王であるゼウスによって殺され
  てしまい、死後は天に上げら れて「へびつかい座」となり、神の一員に
  加わった。
 ・彼がいつも「聖蛇が巻き付いた杖」を持ち歩いていたことから、その杖
  がいつしか医学のシンボルとなった。
 ★「アスクレピオスの杖」は、医の象徴として、WHOの他、各国の医師会の
     マーク、救急車の車体、軍医や衛生兵の兵科記章にも用いられている
 







2020/05/23 11:56:03|その他
川越北山田浄国寺の「夜泣き地蔵尊」伝説
  ある家の女の子が病気になったので、浄國寺の本尊に祈願するも、娘は苦しむこと無く息を引き取りました。その49日に、娘に似せたお地蔵様を建立し供養したのが由来だそうです。
  昔、赤ちゃんのカンが強く夜泣きに困った若いお母さんがお年寄りに相談すると「浄國寺のお地蔵さんに願かけをすればよい。最初は3つの泥だんごを供え、願いが叶えれば、白い米の団子を6つお供えしなさい」と云われたそうです。
 その通りにすると願いがかない、それからは子供が病気になったときも怪我をしたときも訪れるようになったそうです。 写真は、そのお地蔵様。
                           川越の伝説(川越市教育委員会発行)より
  
 







2020/05/23 10:45:00|その他
「さいころの1の目はなぜ赤いのか」という理由
 TVのちこちゃんに叱られるの番組で「さいころの1の目はなぜ赤い」という質問でした。結局、番組では「わからない」が結論でした。
 そこで、わたくしの疑問を解くため、インターネットでいろいろ検索してみましたところ、以下の情報を得ましたので、紹介いたします。

サイコロの歴史
 日本では奈良時代(710年–794年)に中国から伝来したものが始まりで、当時は6面体とは別に、棒状のサイコロも広く使われていたようです。
 その後、国内ではサイコロを製造する様々なメーカーが出現。当たり前ですがどのサイコロも同じデザインで統一されていました。そこで和歌山のある製造メーカーが自社の商品であると分かってもらえるよう、サイコロの1の目を赤くしたことが始まりであると言われています。
 以来、日本のサイコロの1の目は赤い色で塗られることが広く浸透し、現在にいたります。これは国内だけに留まっており、海外のサイコロは全ての目が黒で塗られているそうです。 


 







2020/05/22 11:35:22|その他
河越太郎の五輪塔(養寿院)
河越氏は坂東八平氏の一つ秩父氏の出で重頼の祖父重隆のころに川越に進出し、河越氏を名乗った。河越氏は源頼朝が挙兵した当時、敵対していたが、重頼の妻が頼朝の乳母・比企禅尼の娘であったこともあり、後に頼朝方について平氏を追討、鎌倉幕府の樹立に力を尽くした。重頼の娘は、義経の正妻に選ばれ上洛するが、頼朝・義経が不和になると、重頼は誅殺され、所領は没収された。
 この五輪の塔は、河越太郎重頼の墓として養寿院に伝わっている
(小江戸川越観光推進協議会 ・ 鰹ャ江戸川越観光協会)