≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/05/29 11:22:49|その他
喜多院の護符「角大師・豆大師」
 川越喜多院では角大師、豆大師と称する護符を出している。民家の軒や柱や門柱などに貼られていたり、竹の先に挟んで田圃の中に立てられたりしている。これは、天台宗の慈惠大師という中興の祖のお姿を写したものである。慈惠大師は正月三日に入滅したので、「元三大師」と呼ばれている。ある時、疫鬼が現れて元三大師を悩まそうとしたが、大師は時に円融三諦(一切存在は空・仮を超えた絶対のものである)を観じ、夜叉の形相になって、欠点、悪い点、過ちなどを責めたので、疫鬼は退散した。そこで大師は自らその形相(二本の角を立てたグロテスクな鬼形)を写し、わがこの像をおけば必ず妖怪の来ることもなく、疫災を払うであろうと宣誓した。
 豆大師の方は大師の彫像を33体写したもので、盗難除けの護符と考えられている。「やっとこに目鼻つければ角大師」「角大師ピンゾロという御ン目玉」など川柳にも登場しているようである。
 







2020/05/28 15:54:37|その他
成田山川越別院「開山堂」 祈ると目を治してしてくれるという
成田山川越別院本行院 開山堂
成田山川越別院本行院は、江戸時代末期に石川照温師によって開創されました。師は幼いころから、波乱に富んだ生活を送る中、両眼を失明しました。絶望の末に三度も自殺を図ったが果たされず、これは神仏がまだ自分をお見捨てにならないからだと信じ、千葉県の成田山新勝寺において断食の苦行に入りました。この修行で、見えなかった両眼が少しずつ見えるようになり、ついに満願のころには全く平癒することができたのであります。そのため不動明王の大慈悲に心から感激した師は、一生を不動明王に捧げようと新勝寺で出家得度しました。
その後、不動明王の御霊徳を世に広めるために諸国巡礼に出ると、各地で師の徳を慕い集まってくる人が増えました。そこで、地元の有力者達が、師にここ川越の地に、安住していただこうと、廃寺になっていた本行院を再興しました。そして嘉永六年に成田山貫首照輪上人が、御本尊不動明王の御分霊を照温師に授与せられました。
これが、成田山川越別院本行院の起源となり現在に至ります。(開山堂前の記載文)
 
この開山堂に眼病平癒・視力回復祈願の「め」と書かれた祈願絵馬が多くかけられています







2020/05/27 16:25:51|その他
川越八幡宮「ぐちきき様」「縁結びイチョウ」
今の世の中、愚痴の一つも言いたい」という人が多いのではないかと思う。しかし、女房の前での愚痴や亭主の前での愚痴になると「家庭不和の原因にもなりかねない」そこで、川越八幡宮の「ぐち聞きさま」の前で、思う存分愚痴って、さっぱりしたら夫婦円満になることでしょう。 
 八幡神社の「ぐち聞きさま」
「ぐち聞きさま」は聖徳太子のお姿です。太子は「一度に十人もの訴えを聞き分けた」と言われています。苦しみ悩む多くの人の救いとなってこられました。
 「ぐち聞きさま」に、自分の悩みを打ち明け、「お守り」を身につけ、心穏やかにお過ごし下さい。と記載の札がありました。 
縁結びイチョウ由来(川越八幡神社ご神木)
平成・明仁天皇がお生まれになった御年の昭和八年十二月二十三日川越八幡神社の崇敬者によって、男イチョウと女イチョウ二本を植樹したが、いつしかその二本の木は寄り添い、一本に結ばれてしまったことに由来する。
固く結ばれた二本の御神木に触れ御守りを身につけ、二度拍手を打つと夫婦円満・良縁に巡り逢うと伝えられている。
 







2020/05/26 11:51:39|その他
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2020/05/26 10:37:37|その他
小畔川 「莿橋(とげはし)」の由来
 むかし、むかしのおはなしです。「でえだらぼう」といいます、山をつくることが得意な大男の神さまがおったそうです。富士山に腰をおろして、ひとやすみしたり、筑波山の男体女体をつくったり日本中を歩いておりました。ある時、秩父の方で山をつくることになり、川越の名細あたりを通りかかりました。
ドシッ! ドシッ! おおきな窪地をこさえながら歩いておりました。ちょうど小畔川の近くまできたときです。とつぜん「いてて……!」とでえだらぼうがうずくまりました。なんと、足のうらに小さな莿がっさっていたのです。さすがのでえだらぼうもこれでは歩けません。すぐ莿をぬきまして小畔川の中ほどにつきさして、秩父へと向かいました。まだ、このころの小畔川は曲がりくねっておりまして川はばも広く、たいへんなあばれ川で、人々はなんとか、うまく渡れるように橋をかけようとおもっていました。ところが川のまん中におおきなクイがうってあるのでびっくり、すぐ村人を集め、りっぱな橋をかけました。あとで、これがでえだらぼうの莿だということがわかり、ありがたいことだと橋の名まえを「莿橋」とつけました。
この莿のクイだけは、どんなに大水がでても、けっして流されはしませんでした。