河越城は上杉氏の家臣大田道真・道灌親子が江戸城とともに築いた城である。 当時武蔵の国は古河公方足利成氏と上杉氏の勢力争いのところであった。河越城は入間台地の突端が、水田地帯に面するところに構築され、赤間川を外堀に利用している。難攻不落とはいうものの、その防備には限界があり、有事の際は城外に出て勝敗を決していた。 やがて北条氏の勢力は、次第に関東一円に伸びて、上杉氏と交代するが、河越城の北条氏領有を決定的にしたのは、天文15年(1546)川越夜戦であった。 いったん北条氏に奪われた河越城を、奪還しようとして、城を包囲した山内・扇谷両上杉と古河公方足利晴氏の連合軍8万余騎、これに対する河越城内の兵3千で、食糧もすでに尽きようとして、非常な苦戦に陥った。急を聞いて駆け付けた北条氏康の援軍が8千余騎。福島綱成の弟「弁千代」が当時14歳の若干ながら、単身敵中を突破して、城兵との連絡を果たした。4月20日の夜陰に乗じて、城門を開き打って出て、10倍近い敵を一挙に壊滅した。この夜戦は厳島・桶狭間の戦いとともに、日本3大夜戦として史上に名高い。 今に語り継がれている、もっとも戦いの激しかった東明寺口からは、ず〜っと後年まで地面を掘ると、帯びたただしい髑髏が出たという。 |