どっこい喜多町広済寺 志多町から喜多町へあがってくる坂は、近年大分緩やかになってきましたが、昔は東明寺坂と呼ばれ、かなりの旧坂でした。松山方面から荷駄を積んでくる馬車にとっては相当な難所であったようです。 私(超老人)が子供のころ、近所の商店では、自転車にリヤカーを取り付けていっぱいの荷物を載せて、坂を上ってきますが、登りきるまで家族が総動員で後押しをしていました。また、悲しかったことがあったのは、荷を積んだ車を引いてきた馬が、坂の途中で倒れて、獣医の手当も及ばず亡くなってしまったことがありました。そのようにきつい坂ですから、ここに来ると「どっこいしょ」「ヤレキタ」「ソレキタ」「ホイキタ」など掛け声をかけながら、勢いをつけて登ってくることになります。 その坂を上り切ったところに広済寺があります。登り切って「どっこい喜多町広済寺」といって、ほっとして皆で汗を拭って、喜んだことでしょう。 この「どっこい喜多町広済寺」の掛け声は地口(ダジャレの一種)のようです。江戸時代の末期ごろから盛んにこのような地口が言われるようになり、神社の縁日の参道に絵とか字を書いた、にぎやかな掛け行灯がかざられるようになり、ここに地口の文句が書かれるようになってきたようです。 似たような掛け声には「有難山の寒がらす」「只取山のほととぎす」「恐れ入谷の鬼子母神」など聞いた方も多いのではないかと思いますが、これと同じように「どっこい喜多町広済寺」も地口(ダジャレの一種)をいっていたのではないかと思います。 |