≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/06/21 10:57:11|その他
こむそう塚(上戸民話)
こむそう塚
 名細上戸の日枝神社の鳥居の前には土饅頭がありましたが、これを「こむそう塚」といっておりました。
 むかし、日枝神社の前を通りかかった虚無僧と修験者が些細なことでけんかになり、真剣勝負することになりました。お互い同じくらいの力量で、にらみ合ったまま、動かなくなりました。ちょうど、その時、屑掃きに来ていた村の人たちが遠巻きに見ていましたが、その中の誰かが「おすね!」といいました。その勢いで、修験者が虚無僧の足を一気に足を払いました。運悪く両足をきられた虚無僧は、死んでしまいました。
 それからしばらくたった9月13日のこと、修験者が毎年行っている十三夜のお祭りをしていますと、虚無僧の身内の者が敵討ちにあらわれ、修験者の後ろから切りつけました。
 こんなことがあってからは、日枝神社では、十三夜のお祭りは行わないようになったということです。(川越の伝説より)
 







2020/06/21 9:51:40|その他
修験者ときつね(民話)
修験者とキツネ
 昔のお話です。上戸の日枝神社の裏あたりは鬱蒼とした昼なお暗いところで人を化かすキツネがたくさんいたそうです。ある日のこと一人の修験者が、森の中を通りかかりました。すると、木の根元でキツネが「こっくりこっくり」と昼寝をしていました。修験者は面白がって「わあ!たいへんだ。猟師がきたぞ!」と大声で言って、小石をぽいっとぶつけました。キツネはびっくり仰天し、一目散に逃げだしました。修験者は得意そうに笑いました。
 その日の夜のこと、修験者の家に頬かむりの男がやってきまして、「あなたのお仲間が的場の方で急病になって倒れています。すぐ来てください」といいますので、修験者はすぐに出かけました。頬かむりの男は足が速く、「お〜い 待ってくれ」と修験者が言いますが、なかなか追いつけません、ちゃんとついていかなければ、仲間のところに行けない、と思いますので必死にあるきますが、どうしても追いつけません。とうとう東の空が白みはじめました。さすがの修験者も疲れましたので「ちょっと休もう」と腰を下ろしました。あたりをよく見渡しますと、なんと、そこは昼間通った日枝神社の森の中だったのです。昼間のキツネが怒って仕返しをしたということでした。(川越の民話より)
 







2020/06/20 11:19:39|その他
河童のお伊勢まいり
河童の伊勢まいり
昔のお話です。「名細の小畔川の小次郎と川島伊草の袈裟坊と坂戸小沼のかじ坊」という三匹のいたずら好きの河童が、仲良く伊勢参りに出かけました。羽振りのいい旅人に成りすました三匹の河童は、宿場宿場で大盤振る舞いをしたり、茶店では一番上等のものを食べたり買ったり、あまりも金使いが荒いので、店の主人たちが、三人の旅人には気負付けろと連絡しあい、お金を調べましたところ、なんとそれは田螺の蓋だったのです。インチキがばれてしまうと大変です。皆から追いかけられてとっつかまってしまいました。そして河童であることがばれてしまい。さんざんしぼられました。それからは三匹の河童はすっかりおとなしくなり、二度と再び旅には出なくなったという民話です(川越の民話より)







2020/06/19 11:31:00|その他
次兵衛塚の伝説(川越)
神の申し子を育てた次兵衛
 むかし、砂新田に次兵衛という者が住んでいた。たいへん働き者で、朝は暗いうちから畑仕事に出かけ、夕方は星を見なければ帰らないという毎日で、近所の評判もよく、何不自由なく暮らしていた。
 彼には子宝に恵まれないという満されないものがあった。たまたま、ある人から、「上州の榛名神社(群馬県の中部)へお願いすれが、子供を授けてくれる。ただし、その子は神の申し子だから、年限がくれば神となって親の許から去ってしまうが、それでもよかったら、ひとつお願いしてみたらどうか」と教えられた。彼はなかばあきらめていたところなので、たいへん喜び、仕事を放り出してとるものもとりあえず、榛名神社を尋ね、 三日三晩、子供が授かるように一心不乱に祈った。しばらくすると、霊験があらわれ、女の子が生まれた。毎日毎日、蝶よ花よと大事に育てた。娘は親の期待にこたえてすくすくと育ち、娘が七歳になったときのことである。朝ふと娘の草履を見ると、濡れているではないか。ところが、次の朝もまたぬれていた。いよいよ彼は不思議に思って、娘に聞いてみた。はじめはだまっていて何も答えなかったが、そのうちに観念したように話し出した。
実は私は榛名さまから来た神の申し子です。ことしは七歳になりましたので、約束どおり、榛名神社へ帰らなければならないのです。いままでこんなにまで私を愛し、大事にお育て下さったご両親さまにお別れするのがつらくて、とても言い出すことができなかったのです。毎晩お休みになるのを待って、榛名山へ忍んで行っていたのです
 彼は飛び上がらんばかりに驚き、 「いやいや、お前は私たちの娘だ。だれが何といったって渡さない。断じて渡さない」と言って娘を抱きしめ、ややあってから、落ち着きをとり戻した彼は、(そうだ。榛名さまへ願をかければ子供は授かるが、その子は神の子だから、年限があると教えてくれたのは、このことなのか。やはりこの子は神の子だったのか) と、改めて神のお力の偉大さに胸をうたれた。
 とにかくもう一度お願いして自分の子供にしてもらおうと、榛名神社へ行ってみた。 神殿の前で娘とともに一心に神のお慈悲を乞うた。ところが、何と娘といっしょに連れて来た下女は、何かにとりつかれたように、物も言わずにかたわらの榛名湖のほうへ歩き出し、あれよあれよと言っているあいだに、「ざぶん!」と池の中へ飛び込んでしまった。彼は気も狂わんばかりに、何かわめきながら湖のほうへ走った。すると娘は、たちまち大蛇となって現われた。下女は蟹(かに)となっていた。 すっかり力を落してしまった彼は、何も手につかず、終日部屋に引きこもって考え込んでいた。ついに娘のいなくなったこの世に用はなくなったと、入定する決心をした。
 地面に穴を掘って中へ入り、いっさいの食物や水を絶って念仏を唱えた。心配してようすを見に行った人の話では、満面に笑みさえ浮かべて一心に経文を唱える姿は、すでに人間ではなく、仏さまだったという。
 七日目の晩、とうとう念仏の声が途絶え、成仏していた。村の人々は生前彼に言われたとおり、そこに塚を築いた。これが現在砂新田の高階中学校の西側にある「次兵衛塚」である。
 榛名湖がきれいな水を一年中たたえているのは、蟹になった下女が毎日掃除しているからだという。
 参考=「川越地方郷土研究資料」

 







2020/06/17 20:27:30|その他
雨の川越の街
雨がよく似合う古き城下町川越の夜