≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/06/28 15:25:55|その他
辛い物を断って願をかけるじぞうさま (川越の民話)
 辛いものをたって願をかけるとんがらし地蔵さん(川越市増形) 
 川越市増形の、あるお大尽の家の近くには昔から稲荷さまと庚申さまとお地蔵さんがありました。その中でもお地蔵さんは「とんがらし地蔵さん」と呼ばれ、たくさんの人から親しまれていたそうです。
 むかしのお話です。たいそう辛いものの好きな男がおりまして、とにかく辛いものには目がなく、特にとんがらしが大の好物で、どんなものにでもとんがらしをふりかけて食べていました。そのせいというわけではないのでしょうが、この男、からだ中にいぼができておりまして、それが悩みの種でした。お医者さんにかかり、薬草もつけ、願かけなどもしましたが、いっこうにらちがあきません。最後の神だのみと通りがかりのお地蔵さんに、持っていましたとんがらしを差し出して申しました。「お地蔵さん、おら、このとおりいぼで苦しんでおります。どうしても治りません。このいぼを取ってくれましたら、大好きなとんがらしを断ちます。願いをかなえてくださいまし」そして、とんがらしでからだ中にあるいぼをゴシゴシこすったそうです。すると三、七、二十一日間の満願の日、何と不思議なことに、あんなに頑固だったいぼがすべてコロリと落ちたそうです。男は大喜びで、とんがらしを倍にしましてお地蔵さんに供えました。
 これが評判となり、かなり遠方からも、人々がとんがらしを手に願かけにやってきたといいます。そのため、お地蔵さんは赤いとんがらしでいっぱいになり、誰いうとなく「とんがらし地蔵さん」と呼ばれるようになったといいます。(川越の民話より)

 ※ 写真は山形の「佐藤錦」というさくらんぼ。せっかくいただいたので
  写真を添えて礼状を出しました。「おいしかったです」 
 







2020/06/27 12:24:00|その他
姫緋扇水仙(モントブレチア)
我が家の庭の隅に咲いていた花、
モントブレチアは南アフリカ、ケープ東部地域原産の耐寒性球根植物で、日本には明治時代に渡来しました。ヒオウギズイセンとヒメショウブの交雑による園芸品種で、夏から秋にかけて剣状の葉から細い茎を伸ばし、茎の上部に数個の花穂つけ、濃いオレンジ色や赤みを帯びたオレンジの花を下から順に咲かせます。真夏を色鮮やかに彩り、日本の夏の花として定着しています。

花言葉は、謙譲の美、良い便り、楽しい思い出、陽気、清楚な人、気品、など
花言葉の「謙譲の美」は、和風な花色とうつむき加減でひかえめな花姿にちなむといわれます。
 







2020/06/26 13:58:51|その他
七夕のいわれ
七夕といえば、牽牛と織姫の一年に一度の逢瀬の話です。鵲(かささぎ)の翼を連ねた橋を渡って二星が逢うという伝承は古来中国の伝説に由来します。中国の歳時記では「乞巧奠」(きっこうでん)といい、機織りや裁縫の上達を願う行事があったと記されているようです。
「乞巧」とは「技が巧みになることを乞う」という意であり、「奠」は神仏に物を供えて祭るという意であるといわれています。
ところで、なぜ「七夕」というのでしょう。調べてみました。日本では昔から「衣」は魂を包むもの考えられてきました。そこで、お盆に先立って、祖霊をお迎えするために「棚機津女(たなばたつめ)」と呼ばれる乙女が、人里離れた水辺の機小屋(はたこや)で、一夜を過ごし、穢れを水に流して祓う行事が行われていたといいます。この祓えを「棚機」といいましたが、七日の夕刻に行われることから「七夕」というように、変わったのではないかといわれています。いずれにしても、行事は祈りです、人々が生きていくために、大いなる物をお供えし、健康と豊作を祈ろうではありませんか。
 
  うれしさや七夕竹の中を行く  正岡子規
  七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ  橋本多香子

   ※ 写真は 我が家の「ねじばな」3兄弟







2020/06/25 10:49:26|その他
木野目長者の知恵 伝説
 「木野目長者」のうまい知恵
 川越に、木野目という所がある。低平な水田地帯の中の、水田村だ。江戸時代の中頃のこと、ここに「木の目の長者」と敬われていた長者がいた。あるとき、ひどい飢饉になって、村から餓死者が続出しそうになった。たくさんのお金を持っていた長者は腹をきめた。 「よし、村中の者に、米が買えるだけの銭をくれてやろう」 長者は村の中のある場所に、荒地のドロを持ってこさせた。2人1組で、モッコで運ぶのだ。長者は現場に大きな銭箱を据え、1モッコで1回、銭の掴み取りをさせた。
 (中略)
 村の者は、毎日、朝から晩まで競争でドロを運んだ。それでやがて大きな山が2つもできた。信心深い長者は、その1つに愛宕様を、もう1つに浅間様を祀った。 これが田んぼの中の愛宕塚と浅間塚だ。むかしの木野目は、洪水の多い水場でもあった。それでここは、そうした時の安全な避難所にもなっていた。
 (川越の伝説より)

写真は「水滴」のアートです。昨日家で撮影してみました。
 







2020/06/24 15:53:15|その他
さくらんぼ
友人が土産に持参してくれました。今年の初物です。