≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/07/03 11:15:23|その他
甲州武田の姫が開いた寺
至誠山成就院真行寺の開祖について
川越は寺の多い町であるが女性が開いた寺は珍しい。
真宗大谷派、至誠山成就院真行寺、開祖は真行尼である。真行尼は、武田信虎の子八重姫といわれ、天文元年(1532)生まれとなっているが、信虎に八重姫という姫がいたかは定かでない。彼女は武田家と本願寺の姻戚を頼り、大阪石山本願寺に至り、本願寺派第11世顕如上人に、本願地方の法を聴聞し、真行尼の法名を賜ったという。天文23年(1553)には、岩崎兵庫、若山主計ら家臣とともに甲斐を出て、武州吉田村へ一時落ち着つき、その後は川島郷の虫塚に移り住み、そして、川越(現宮元町)に後の至誠山成就院真行寺となる庵を開く。その時真行尼は41歳である。天正10年(1582)には武田勝頼の次男靖清が真行寺に来る。その12年後の文禄3年(1594)10月18日真行尼は没している。二世は靖清が継ぎ、法名を善西と称し、元和9年に没している。寺の本来の在り様は、村の中心的なやくわりを負っていたので、各檀家は、寺の周囲に住んだものだが、この至誠山成就院真行寺の檀家の在り様は不思議で、各檀家は川島町の虫塚や伊草、旧芳野村の北田島、旧古谷村の古谷上、上福岡と川越の中心街外側に広がっていて、町の中には数は少ない。そして、その檀家は、その村の寺とも付き合いをしているという。こんなところから、真行寺が甲斐武田の流れを汲む直系で、武田の家臣が川越を中心に街道沿いに落居したといわれ、そのシンボルとして真行尼がいたのかもしれないという。
  ※ 我が家の菩提寺はこの真行寺である。
  ※ 写真は花簪のような藤の花 







2020/07/02 10:52:01|その他
川越城の七不思議「初雁の杉」
川越城の七不思議 (初雁の杉)
 川越城内にある三芳野神社の裏には大きな杉の老木があった。しかし、枯れてしまったので伐り倒され、それが、つい最近まで神社のわきに置いてあった。
 この辺は三芳野の里といわれ、伊勢物語に詠(うた)われている次の歌のように、むかしから有名な歌枕だった。
 
   三芳野の田面(たのむ)の雁はひたぶるに
       君が方にぞよると鳴くなる
   わが方によるとなくなる三芳野の
       田面の雁をいつかわすれむ

 
 この歌に詠われる雁と、三芳野神社の杉について次のような言い伝えがある。
 いつの頃からか、三芳野の田面(たのむ)の里に、毎年北のほうから初雁が、少しも時を違えず飛んできた。そして、いつも杉の真上まで来るとガアガアと三声鳴きながら、杉の回りを三度回って、南を指して飛び去ったということである。この故事によって、川越城は一名初雁城ともいわれている。
 また、太田道灌がこの杉のこずえに旗を立てたということから、旗立の杉ともいっている。 (川越史料調査研究会口碑伝説より)
 
※  写真は、だるまの写真をパソコンで加工したアート「赤の画像」
 







2020/07/01 15:32:41|その他
川越の民話「おいてけぼり」
 おいてけ堀
 小畔川のあたりの堀には、魚がたくさんいて、かっこうの漁場になっていた。ある村人が吉田に魚のよくとれる堀を発見した。下から水が湧いているが、ちょっと見ると堀があるように見えないので、人目につかなかった。
 のぞき込んでみると、たくさんの魚がいる。だれも獲(と)りにきた者がないためか、手を入れると、寄ってくる。有頂天になって自宅へとんで帰り、網と大きなびくを持ってきた。うれしさのあまり少しふるえる手で網を入れた。
 すぐにずっしりという手ごたえがあり、上げてみると、たくさんの銀鱗が踊っている。こうして二、三回入れただけで、たちまちびくは、いっぱいになってしまった。 そこで、網をかついで帰ろうとすると、突然だれかが、  「おいてけ おいてけと、声をかけた。びっくりしてあたりを見回したが、だれもいない。気のせいかなと思って、ふたたび歩き出すと、また、 「おいてけ おいてけ」という声がする。またふり返ってみると、人影はもちろん、何も見えない。これは早く家へ帰ったほうがいいと思って、急ぎ足で歩き出すと、やはり例の声がする。うす気味悪くなって馳け出すと、いっそう大きな声で、「おいてけ おいてけ」と怒鳴るのである。 とうとう村人は、網もびくも放り出して、家へ逃げ帰ってしまった。不思議なことに、びくを放り出したら、とたんに「おいてけ」という声はしなくなったのである。翌日また例の堀へ行って獲ったが、いざ帰るだんになると、きのうと同じように「おいてけ」の声で逃げ帰る始末だった。それからというもの、その村人は例の堀へは近づかなくなってしまった。 
 近所の人々が、村人のただならぬようすを察して、跡をつけ、例の魚のたくさんいる堀を発見した。大勢がその堀へ押しかけて、つぎつぎに魚を獲ったが、いざ帰ろうとすると「おいてけ」の声がかかってしまい、だれも獲ることができなかった
 以来、この堀のことを「おいてけ堀」と言って、だれも近づかなかったという。
 
置いてけ堀の正体は、河童、川獺、狸、狢など様々にいわれ、変わったところでは、追い剥ぎだったという説もある。

   ※ 写真は、パソコンで加工した「アート作品」


 







2020/06/30 14:20:42|その他
田植えの手伝いをした地蔵様(川越の昔ばなし)
 田植えの手伝いをするお地蔵さん (川越市石田本郷)
 川越市石田本郷折戸の地蔵堂には「田掻き地蔵」「鼻取り地蔵」などとよばれている、めずらしいお地蔵さんがあります。
 むかしのお話です。そろそろ田植えも近づき、田に水がはいり馬をもちだし、田掻きの季節がやってきました。ところが、折戸に住む、あるお百姓さんの家では人手がなくて困りはてておりました。
 そんな時です。突然どこからともなく元気そうな若者がやってまいりました、「私でよければ、その馬の鼻を取りましょう」といって、あざやかな手つきで馬の鼻をとり田掻きをはじめました。お百姓さんもおどろくばかりの手ぎわのよさで、その若者はあっという間に田掻きをおえてしまいました。みごとに仕上がった田をながめておりましたお百姓さんは、若者にお礼をと、ふりかえりますと、もう姿がありません。
 「はて、今どき、奇特な人だ。いったいどこの人だんべえ」と、泥のついた若者の足あとをたどって行きますと、なんとそこは村はずれの地蔵堂ではありませんか。
 そして、中にお地蔵さんの足もとを見ますと、泥でまっ黒によごれておりました。「さては、さっきの若者は、お地蔵さんであったのか」と、あらてめてお礼を申し上げ、今まで以上にお地蔵さんを大切にするようになったということです。(川越の昔ばなし)

※ 写真は家の花に蟻がいましたので、撮影しました。







2020/06/29 10:03:00|その他
雲水の餅問答(武蔵川越昔ばなし集より)
雲水の餅問答
 ある所に立派なお寺があった。とてもお寺は立派でも、その中のお坊さんは怠け者のちっとも修行なんかしない、檀家などのご機嫌とりがうまく、勉強なんかちっともしない和尚さんだったのよ。 そこに餡餅屋の六兵衛さんという人があった。その人は毎日毎日の信心で、お寺へ来てはお経をあげておりました。その晩も例によって来て見ると、和尚さんがいつになく青くなっているので、六兵衛さんはどうしたときくと、怠け者のお坊さんも自分が勉強しなかったとは言えかねたのか、「私はこのごろ病気で困っているところへ、旅僧が来て禅問答の試合に来ると言うので、もし出なければ卑怯だと言われるし、出れば負けかもしれない。負ければこのお寺にいることができないのだ」 それを聞いた律義なやさしい六兵衛さんは、「それでは私を出してください。もし私が旅僧より勝ったならば、和尚さんより偉いのだし、負ければ私の恥で和尚さんの恥ではない」。もう和尚さんはどうしようもないので、六兵衛さんを本堂へ連れて行って、座禅の組み方を教え、合掌の仕方を教えて、和尚さんはかげに隠れて見ておりますと、六兵衛さんは盛んに、「ムニャムニャ」いつから習い覚えたお経を唱えておりました時、旅僧が入って参りました。入りながら旅僧は、「白扇さかしまにかかる東海の天」と言いました。餡餅屋の六兵衛さんは何も知りませんから黙っておりましたら、旅僧は、「はっはあー、ここの和尚は、無言の行でおわすか」と言って自分も無言の行をなされた。六兵衛さんは黙って細く目を開けて、旅僧の方を見ていると、旅僧は手で小さい輪を作りましたから、六兵衛さんはなんのことかわかりませんが、かまわず大きな輪を作りました。すると旅僧は「うえっ」てお辞儀を致しました。また六兵衛さんが細く目を開いて、旅僧の方を見ていると、今度は旅僧は人差指を一本出しましたから、六兵衛さんは五本の指をひらいて出しました。それを見た旅僧はまた「うえっー」てお辞儀をし、今度は三本の指を出しましたから、六兵衛さんは アカンベーをしましたら、旅僧はまた「うえっー」とお辞儀をしてさっさと逃げ出しましたので、不思議に思ったのでさっそく小僧に後をつけさせました。
旅僧は、宿屋でえいわーえいわー息をきらして汗をふいているところだったので、きいて見ると、「今日ぐらい偉い和尚さんに逢ったことはない」「どうしてですか」と小僧がきくと、「私が太陽はと言って小さい輪を作ると和尚さんは世界を照らすといい、三仏はと三本出すと目の下にありと言った」それを聞いて、小僧がお寺へ帰って来ると、六兵衛さんは頭から湯気を立ててぷんぷん怒っているので、小僧は、「まあまあそんなに怒りなさんな。どうしたのか話をきかせてくれ」と言うと、「今日ぐらい太い和尚に逢ったことはない。お前の家の餅はこれくらいかと小さい丸を出したから、おれの家はこんなに大きいと大きな丸を作って出したら、一ついくらだと言うから五厘だと五本の指を出すと、三厘にまけろと言うからアカンベーとしたら、旅僧の奴さっさと逃げ出した」ということであるよ。 これでこのお話はおしめいだ。                            (埼玉県・「武蔵川越昔話集」・より)

※ 写真は自宅のアジサイ。 パソコンで加工しました。
  私も遠回りしていろいろ学びました。