≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/08/09 12:44:11|その他
人生訓「個性を発揮する条件」
人には個性という性がある。個性もまた、その人だけに天が命じたものだが、個性という性がその真正を発揮するには、二つの条件が必要。

ひとつは「教え」。どうゆう教えに出会うかによって、個性はさまざまに磨きだされる。それが個性のあり方を決定する。

二つ目は「節」。どうゆう節に出会い、それをどう乗り越えるか、あるいは乗り越えないか。それが個性を発揮できるか、できないかの分岐点になる。

誰の人生にも節がある。小節、中節、大節、
人は皆その人生行路で様々な節に出会う。それらの節を一つ一つ乗り越えることで、人はさらにたくましさを加え成長していく。節を乗り越えられずに道半ばで倒れ、命を全うできない人も少なくない。







2020/08/08 8:59:05|その他
養生訓「百年生きても36500朝」
坂村真民一日一言に、「三万六千五百朝 棟方志功」というのがあるという。
なんといういい言葉だろうか。百年生きたって僅か三万六千五百朝だ。
一朝だって無駄にしてはならないんだと腹にしみわたるような言葉である。

すべてとどまるとくさる
この恐ろしさを知ろう
常に前進 常に一歩
空也は左足を出し 一遍は右足を出している
あの姿を拝していこう

人間いつかは終わりが来る
前進しながら終わるのだ
まだ 前進できる まだ前進しなければならぬ 
    真民さんの詩と人生はそのことを教えてくれている。







2020/08/07 10:36:02|その他
パロディ俳句(笑える俳句)
インターネットで俳句の本を探していたら、「ギャ句」というのを見つけました。
この本によると、「ギャ句」を作るには、本物の原句がわからなければ、パロディ俳句は難しい。そこで、本物の句の勉強をする興味が出てくるという。

  原 句 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
  ギャ句 芋食えば 尻が鳴るなり 放流時 というのがありました。
  
  川柳では、 屁をひって  思わずうしろ 振り返る
  こんなこと ありませんか!!







2020/08/06 10:36:01|その他
人生訓 「ピンチをチャンスにする」
人類の歴史は夢に挑んできた歴史である。文明史は夢の挑戦史といってもいい。夢に挑み、幾多の困難を乗り越えて夢を実現した人たちには等しく共通したものがある。困難を「障害物」でなく「跳躍台」にしたことである。「すべての逆境にはそれと同等かそれ以上に大きな恩恵の種子が含まれている」とナポレオン・ヒルは言っているが、そのことを身体で知っていたということである。

今コロナ禍の時代、これをどう乗り越えるか、試練の時、これをぜひ「跳躍台」にしてほしいものです。それには「一人一人の自覚と分別が必要だと思います」
ここで盆帰省が行われます。帰省をやめる人も多くいるとは思いますが、コロナ禍は人が動けば、頻発することは必至です。十分注意しましょう。







2020/08/05 14:15:34|その他
「川越の歴史」歴代の川越の城主
 天正18年(1590)江戸城に入った徳川家康は、川越城を重要な城とみて、三河以来の家臣の酒井重忠を初代川越城主にした。これが川越藩主の誕生である。以来廃藩になるまで8家21人の藩主を数える。
歴代の川越城主
(酒井重忠、老中酒井忠利、大老酒井忠勝、老中堀田正盛、老中松平信綱、松平輝綱、松平信輝、大老格柳沢吉保、老中秋元喬知、秋元喬房、秋元喬求、老中秋元涼朝、松平朝矩、松平直恒、松平直温、松平斉典、松平典則、松平直侯、松平直克、老中松平康英、松平康載)
 江戸に最も近い城として、重要視されていた川越城の城主の多くは、幕府の要職にあったので、権威は相当高かったといえる。歴代の城主の中では、知恵伊豆といわれ、川越藩政に大きな功績をたてた、松平信綱がよく知られている。また、柳沢吉保は、将軍綱吉に最も気に入れられた重臣の一人であった。
初代川越城主酒井重忠の時1万石であったが、松平大和守の時代には17万石となる。川越城が大々的に改修されたのは、老中松平信綱が入城した、寛永16年(1639)からである。
 ところで、川越城には天守閣がないといわれているが、天守閣の代わりをつとめる櫓があった。櫓は、ある程度の高さを備えた建造物であったことがうかがえる。城中には3つの櫓が作られたが、この中の本丸一の高所に建てられたのが、高さ15M三層造りの「富士見櫓」である。関八州の近世の城には、天守閣がないのが普通だが、これは物見という需要が薄れたのと幕府の城増改築規制もあり、天守という呼称を遠慮して小規模の櫓をたてることが多かったと思われる。