新くさびら紀行

くさびらとはキノコです。歴史の街並みを旅行するので紀行にしました。
 
2010/12/17 8:30:35|植物
柚子の里、越生で「東京スカイツリー」がみえました
12/8日、仲間と柚子の里「越生」に行きました。坂戸駅から東部越生線に乗り、奥武蔵の山々を眺めながら、世界無名戦士の墓のある大観山を経由して大高取山の頂上に行きました。
そこには、木イチゴの仲間のフユイチゴ(冬苺)が実を付けていました(上中央と右)。酸味が聞いて大人の味?
元旦には、世界無名戦士の墓で初日の出を見て「合格祈願」をする生徒が多いという。また、なんとかすかに、東京スカイツリーがみえました(左下)。双眼鏡持参ですとはっきり見えます。このハイクで越生のすばらしさを発見しました。







2010/12/15 18:41:26|その他
東松山総合福祉エリア「ボランティア」
私たちは東松山総合福祉エリアで、歌と踊りのボランティアをしてきました。グループは東松山生きがいを卒業した仲間です。
Sさんの安来節とS・Aさんを中心とした民謡玉すだれは埼玉西部地区ではピカTだと思っています。観客は100人以上いました。私は何にもできないので脇役の雑用係りです。







2010/12/14 8:10:33|歴史の街並み
金の価値
近世には、。金・銀は@かさばらない A持ち運びに便利 B価値が安定しているから、金・銀を戦の"ほうび"に使っていました(左上)。そのため金・銀山の鉱山の開発をしました。いつの時代も金の価値は安定していることが分かります。
12/12日に書いた「糸目(いとめ)」とは武田時代の布役の額から採られています(古銭語辞典)。
世界で一番大きい金貨は?
豊臣秀吉が褒美として造った天正長大判と言われています。
左下は、我が国初の貯蓄預金の取り扱い資料。
明治10年に山梨第十国立銀行が設立されました。
明治11年に川越第八十五国立銀行が設立されました。








2010/12/13 8:36:58|歴史の街並み
渡来銭の使用
続き。大昔は、物々交換によって、お互いに欲しいものを手にいれました。時代が飛びますが、中国等では紀元前8世紀頃になると金属を使った貨幣が造られました(左上)。
我が国の貨幣は和銅元年(708)に鋳造されました。
これ以来250年間に12種類の貨幣を発行しました。改鋳のたびに銭貨の質の低下等により、民衆が銭離れを起こしました(上中央)。
平安時代になると、農業等の発達により貨幣の需要が高まり、日栄貿易により、中国銭(栄銭)が我が国は流入して、我が国の貨幣になりました(右上)。日栄貿易では我が国の金、銀等を輸出して、栄銭を輸入したという。
最近の中国の経済力は巨大なので考えさせられます。







2010/12/12 10:00:27|歴史の街並み
甲州金の量目
続き。甲州金の量目は、1両=4分=16朱を基礎として、二進法の朱中・糸目・小糸目の単位を加えて体系化したものだそうです(左上)。
糸目とは、甲州金の一つで、朱中のに1/2に当たる金貨で銀7分5厘に相当します(上真中)。
武田家滅亡後、徳川家康は、この甲州金の制度を江戸幕府貨幣制度に取り入れました(左下)。
甲州金は、例外として甲斐の国内で通用したし、鋳造も認められました。