新くさびら紀行

くさびらとはキノコです。歴史の街並みを旅行するので紀行にしました。
 
2011/01/28 9:04:15|歴史の街並み
川越の近代産業遺産「旧川越織物市場」
旧川越織物市場は、明治43年に開設され、大正8年に幕を閉じました。建物は、広い中庭を挟む東西2棟からなる長屋形式の建物です(上中央)。これは中庭に大勢の人が集まることができるようにしてあります。桐生でもなくなり全国的にも残存しているのは珍しい建物。
右上の写真の右側は「大波板」で当時は最先端技術で造ったトタン。
左下は「座売り」風景で座っている人が売り子、立っている人が買い手。売り子の後ろに商品がおいてあります。







2011/01/27 8:54:28|小江戸川越
喜多院等の文化財防火訓練
昨日、NHKの9時のニュースで流れていた喜多院等の文化財防火訓練を見てきました。この訓練に迫力を感じました。
1/26日は文化財防火デー。昭和24年1月26日に,現存する世界最古の 木造建造物である法隆寺の火災とこの時期の空気が乾燥しているので制定したという。
この慈恵堂は慈恵大師(元三大師)と慈眼大師(天海僧正)を祀ったもので、潮音殿とも呼ばれています。建物は、県指定文化財で入母屋、銅板葺。しかも延暦寺根本中堂大講堂、日光輪王寺三仏堂などと同一形式です。







2011/01/25 8:28:30|歴史の街並み
続き。根津記念館
これは、富士山の赤富士で、年数回しか見られない縁起のいい凧の写真が玄関に飾ってありました。
根津嘉一郎氏は、明治30年代に東京に進出し、甲州財閥を形成して、38年に東武鉄道の社長に就任しました。
「社会から得た利益は社会に還元する義務がある」という信念のもとに教育事業も手掛けました。大正11年、旧制武蔵高等学校も創立しました。また、山梨県下の全小学校にピアノやミシン等を寄付しました。彼の大磯の別荘から移植された松(左下)。
明日は休み








2011/01/24 5:39:57|歴史の街並み
根津家の「土蔵」は国登録有形文化財
続き。木造3階建ての土蔵(上中央)は山梨でも珍しい。土蔵内は根津家に関する資料を展示しています。その中に当時の松方デフレで農産物の価格が下落して、農地が地主階級に集まり大地主が形成されたことが書かれていました。
旧主屋も国登録有形文化財で、昭和8年竣工。当時の近代的な和風建築です。設計図より復元した茶室と青山荘があります。
左下は当時の竈。現役時代の社長室の机(右上)。







2011/01/22 21:09:00|その他
山梨市「鉄道王の根津記念館」
昨年、山梨中銀の金融資料館を見に行った時、美人のガイドが山梨市にある鉄道王の根津記念館に行くといいですと言われたので行ってきました。
東武鉄道社長に就任して経営再建を行った根津嘉一郎翁の生家が記念館になってます。長屋門と旧主屋が国登録有形文化になっています。この長屋門(左上と上中央)は、昭和初期の社会情勢を反映した壮大な建物です。屋根は起(むく)り屋根(右上)。
*「起(むく)り」は反りとは反対に上から見て凸に反らしたもの。棟から軒先へいくほど下り勾配が強くなり、雨水がたまらずに下に流れます。