新くさびら紀行

くさびらとはキノコです。歴史の街並みを旅行するので紀行にしました。
 
2011/02/19 19:39:35|小江戸川越
川越市立博物館で文化財を見てきました(懸仏)
博物館で市文化財を見てきました。
懸仏(かけぼとけ)とは鏡板上に仏像にを表し、神社仏閣に懸けることようにしたもので、本地垂迹と密接な関係があります。
本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に表れた神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考え。
左上は上戸日枝神社の懸仏。上真中は古尾谷八幡神社の銅像阿弥陀三尊懸仏(源頼朝が京都石清水から勧請したもの)。三芳野神社の銅製扇形額(重要美術品)。








2011/02/18 17:08:00|その他
成田山川越別院の本堂と山門の彫刻
成田山川越別院の本堂と山門の彫刻を見てきました。この彫刻は
野本民之助氏が彫りました。
彼は明治25年に熊谷で生まれ、川越の野本家に養子に来た際に民之助と改めたという。19歳当時にはその腕を買われ作品を残しています。また彼の作品には「川越住 野本義明」という刻銘がみられ、川越を拠点として活動していました。
川越に残る江戸時代ー明治時代にかけて製作された彫刻は、大半が川越以外の匠の手によるものでした。
日清稲荷本殿、信行寺本堂欄間等の大正期の彫刻は、ほとんどが民之助の作品であったことからも川越を代表する職人です。(社殿彫刻研究者より)。
この寺は昔から「久保町の不動さま」と親しんで呼ばれています。







2011/02/16 18:15:51|その他
「坂の上の雲」のプロデューサーである藤沢 浩一氏の講演会
NHK スペシャルドラマ「坂の上の雲」のプロデューサーである藤沢 浩一氏の講演会に行ってきました。プロデューサーの仕事とは、演出家以外のすべてをして巨大な雑用係りだそうです。
司馬遼太郎さんは『坂の上の雲』を書くのために、トラック一台分の資料を集め、それに基づいて書いたとのこと。
2003年に司馬さんの奥さんから許可がおり、放送開始は2009年でした。海外ロケ地はロシア等の13カ国におよび、国内では明治時代の建築が残ってないので、上海で撮影していかにも日本で撮影したようにしたとのこと。私も見てますが、かなり有名な俳優を使ってます。それに関して彼は、個々に高い意気込みが感じられましたと言ってました。







2011/02/15 19:21:08|小江戸川越
雪の積もった仙波東照宮
朝起きた時、雪の積もった仙波東照宮の写真を撮ろうと思いました。自宅を出るのが遅くなりましたのでかなり融けていました。
入口にある髄身門は、朱塗り八脚門、切妻造りで銅瓦です。八脚門とは、門柱四本の前後に各々一本ずつ控えの控柱を持っている屋根付き門です。
石鳥居は髄身門の内側にあり、寛永15年に造営奉行の堀田正盛が奉納しました(左上)。







2011/02/14 8:12:12|小江戸川越
胡蝶蘭の洋蘭園
善仲寺の帰りに愛興洋蘭園によりました。ここは13棟の温室にピンク、白の胡蝶蘭が咲き乱れていました。この蘭の原産地は、東南アジア、台湾、オーストラリア等の亜熱帯地方で高温多湿のジャングルや川辺の樹木だという。原種は約400種。
オリジナル品種の開発にも力をいれて、黄色とピンクの中間のリレーブや黄色のカナリアなどを選びぬき開発したという。
良い胡蝶蘭は花が大きく、背が高いものが高く取引されているとのこと。