新くさびら紀行

くさびらとはキノコです。歴史の街並みを旅行するので紀行にしました。
 
2011/02/25 21:42:30|小江戸川越
手作り菱餅
2/24日に書いた菱餅をつくってみました。ヨモギを入間川付近で摘み、茹でて置きました。もち米を10時間以上水に浸し、餅つき機の「もちもち」で搗きました。餅とりこを使わずにサランラップを使います。明日は、中央公民館の雛祭りのボランティアなので、この手作り菱餅を子供たちに見せます。
ヨモギは薬効も高い草餅の主役。







2011/02/25 8:56:26|小江戸川越
川越にあった徳川家尾張藩のお鷹場
川越にも徳川家尾張藩のお鷹場がありました(左上と中央)。尾張藩のお鷹場は多摩・入間(川越)・新座郡の180か村にわたる広大なものでした。
鷹場に指定された村々は、代官や地頭の支配のほかに鷹場役人からの支配もありました。また鷹狩の際の人足徴収などや日常生活に関する様々な規制は、鷹場の村の大きな負担になりました。
右と左下の写真は東村山ふるさと歴史館から撮りました。







2011/02/24 9:15:42|小江戸川越
雛祭りの菱餅
公民館で雛祭りのボランティアをしてきました。雛祭りの起源は、体の穢れを払う祓の行事だそうです。
雛祭りには草餅、菱餅、白酒などを供えて幸福祈願をします。
菱餅は、菱形をした赤、白、緑の三色の餅を重ねたもの。菱形とは、水生植物の菱の実のような形で、この実は食用になります。
この餅を雛祭り飾る起源はインドの古い仏教説話にあるという。
川に棲む竜を鎮めるために、娘を竜の生贄に差し出さなければならなくなった男が、困り果てて、若い娘の味とよく似た菱の実を与えたところ、以後竜は暴れなくなったという。







2011/02/22 8:42:05|その他
新河岸川舟運「福田屋」現在の福岡河岸記念館
福岡河岸は、享保18年(1733)頃に3軒の問屋が農業のかたわら回漕業を営んだことから河岸場が開設された。その後江戸幕府から公認された。
そして江戸後期の天保2年(1831)、新たに船問屋福田屋(星野仙蔵)が開業した。その8年後、現在の福岡河岸記念館がある元鍛冶屋を購入し母屋や土蔵をつくり回漕業として、明治後期まで隆盛を極めたという。
明日は休み







2011/02/21 8:38:10|その他
母にもらったセツブンソウとフクジソウ
やっと咲いてきたわが家のセツブンソウとフクジソウ。
セツブンソウは石灰岩地帯に生える多年草で、高さ5-10cm、花は茎の先に一個だけ付けます。この花は母にもらいました。種がこぼれて2-3年頃に咲くそうです。
この辺では、残念ながら節分に咲きません。