新くさびら紀行

くさびらとはキノコです。歴史の街並みを旅行するので紀行にしました。
 
2011/03/04 10:22:11|鳥と昆虫と魚
かなり警戒して地上に出てくるネズミ
庭に生ごみ用のコンポストを置いたら、鼠がきて生ごみを食べにきています。かなり警戒して地上に出てきます(左上)。
ネズミは眼がだめで、一メートルほど先しか見えず、その上色盲である。口髭の感覚は鋭くて、暗闇の中で狭い空間中の行動を誘導する。耳はさとく、危険の情報をいち早くとらえ逃避する。最も、この鋭敏さは逆用されて、二万サイクル程の高周波を発射すると倉庫のネズミはすべて逃げ出すという(宮地伝三郎動物記Tより)。







2011/03/03 7:53:18|歴史の街並み
「いろは樋の大桝」市史跡
志木市内を歩くと「いろは商店街」、「いろは遊学図書館」等の「いろは」が目立つ。これは江戸時代前期、新河岸川に木製の樋を架けて本町側から水に困っていた宗岡地区に通水し、農業生力大幅に高めました。
これはつなぎ合わせた樋が48個、「伊呂波歌(いろはうた)」の文字数と同じだったことで付けられました(上中央)。この辺の新河岸川は、かつて舟運で利用していたので、川からかなりの高さが必要でした。そのため大桝をつくりました。写真の大桝(上右)は明治時代につくられ、市史跡。左下は「いろは樋」の模型で水色の所が川。







2011/03/01 21:34:07|歴史の街並み
志木市宗岡周辺の水塚(みづか)--貴重な文化財
これらの写真は志木市宗岡周辺の水塚(みづか)です。昔から大水に悩まされてきた地区では、水が出たときに備えて、いろいろな工夫をしてきました。
その代表的なものとして水塚(みづか)と避難用の船です。
*水塚とは母屋よりも一段高く土盛りし、その上に建てられた避難用の建物とその土もりのことを言います。
今は、昔の住宅を新築して大変少なくなり貴重な文化財です。







2011/02/28 19:16:31|歴史の街並み
続き。薬屋業の旧村山快哉堂
旧村山快哉堂は薬草を乾燥させるためにムシコ窓(左上)と一階に吹き抜け部分(上中央)を設けてあります。*虫籠窓(ムシコマド)虫籠のように格子の目を細かくした窓。
一階に観音開扉が二か所あり、大きい方が主人用、小さい方が使用人用とのこと(左下)。右上は二階に荷物を上げるための滑車。家伝薬の製造・販売の規模が大きかったことが想像できます。








2011/02/27 9:37:08|その他
志木市文化財「旧村山快哉堂」
志木市にある伝統的建造物の旧村山快哉堂を見てきました。ここは、明治10年に建築された木造二階建て土蔵造りの店蔵です。「中風根切薬」「分利膏」等の各種家傳薬を製造、販売する薬家でした。
この村山家は、創業以来、平成5年まで七代にわたって薬屋業を営んできました。
分利膏(ぶんりこう)とは神経痛・リュウマチの練り薬で貝殻に薬を詰めて売ったという(上中央)。