新くさびら紀行

くさびらとはキノコです。歴史の街並みを旅行するので紀行にしました。
 
2011/03/10 17:36:51|歴史の街並み
続き。明治-昭和の初期に造られた織物工場の鋸屋根
桐生に残る織物工場の屋根は、どこの屋根も鋸のようなぎざぎざ。町のあちらこちらで見られるこの屋根は、工場内の採光を考えて造られたもので、北側の天窓から光を取り入れて、細かい手作業が多いのに適しています(左下)。
明治から昭和の初期に鋸屋根の工場が造られました。近代化遺産として残したい鋸屋根の工場がかつて約260棟あったという。







2011/03/08 20:52:44|歴史の街並み
国登録文化財「桐生倶楽部会館」
今日は、日本の機(はた)どころ桐生に行ってきました。
天正19年(1591)、桐生新町が計画的に造られると「西の西陣、東の桐生」と並び称されるほどの絹織物が伸展した。
この建物は、大正8年、社団法人桐生倶楽部により会員のための社交場として造られた。また、この様式は、スパニッシュ・コロニアル形式の会館です。平成8年、国登録文化財に指定されました。
*桐生倶楽部は明治33年に誕生した産業人の社交機関です。







2011/03/07 6:25:30|その他
偕楽園好文亭の「杮落とし
好文亭の名は梅の異名、好文木に由来し、二層三階建の好文亭本体と平屋建ての奥座敷を総称して好文亭(左下)と呼ぶそうです。
この好文木は晋の武帝が学問に親しむと梅が開花し、やめると開花しなかったという故事からきています。
この新しい屋根を見て、友人は、柿落としを京都で見てきた話をした。柿落しは工事の最後に屋根などを削り屑を払い落したところからきたという。劇場が初めて行う興業をいいます。








2011/03/06 8:03:56|歴史の街並み
水戸の弘道館(旧水戸藩の藩校)
水戸に来て、偕楽園を見学する人は、多いが弘道館を見に来る人は少ないという。この弘道館は旧水戸藩の藩校で徳川斉昭が推進して開設されました。全国一の規模を誇る敷地内には、政庁・至善堂(上右)を中心に学問を学ぶ文館、武術を修練する武館等がありました。明治元年に起きた弘道館の戦と呼ばれる藩内抗争の銃痕が門柱や扉に見られた(左下)。上中央は正門(重要文化財)







2011/03/05 9:36:21|歴史の街並み
水戸の偕楽園「仙奕台(せんえきだい)」
3/2日、いきがいの仲間と水戸の偕楽園に行ってきました。梅は五分咲きでした。この場所は仙奕台で千波湖を初め周囲の景観が一望できるこの突き出た台地。四方を眺めながら湖上から吹き上げる涼風を受けながら碁や将棋、文雅を楽しんだところ。奕(えき)は囲碁の意味。石は基盤や将棋盤(右上)で当時のものです。
最近、市内公園でも将棋やマージャンをしている人を見かけます。そうか江戸時代もやっていたのかね。