新くさびら紀行

くさびらとはキノコです。歴史の街並みを旅行するので紀行にしました。
 
2010/11/29 8:02:47|小江戸川越
松平伊豆守信綱の「中福村新田開発」
今日の福原は、松平伊豆守信綱が寛永16(1639)年の川越入封から行った新田開発より始まりました。開発以前、この辺は草地・芝地で、開発不能地と呼ばれ「入合秣場(いりあいまぐさば)」としていました。
この新田開発を行うに当たり、新田奉行として中沢弥兵衛を派遣し、9か村開発の代表(割元)として志村治郎兵衛を任命して始めました。
新田の特徴は間口20間(36m)、奥行き330間(600m)の短冊形でした(左下と右上)。この写真のように今も残って農業経営が行われています。
左上は中福村絵図(黒田家所有)。







2010/11/28 7:20:07|その他
福原「阿弥陀堂」
中沢弥兵衛は、松平信綱の命により福原の新田開発の奉行になりました。この新田開発の奉行が川越に引き揚げる際に、阿弥陀仏を本尊としていた庵も引き取ってしまったため、村人が小さな庵を建て、阿弥陀仏を祀り、阿弥陀堂と呼ぶようになりました(左下)。この堂は大工さんが手を入れたので文化財にならなかったそうです。
明治7年から19年まで「中福学校(寺子屋)」となりました(上中央)。右上の写真は、薬師三尊像。







2010/11/27 8:41:12|小江戸川越
前日の続き。「三国ふじかけ」
前日続き、この時の読経がきっかけとなり、観音講が始まりました。「三国ふじかけ」が病になった日「二十日」と、病気回復のための観音経を唱え終わった日「九日」にちなんで、月二回行われました。「月読み」と呼ばれたこの行事は、家々が順番に「やど」となり、御馳走をつくり、近所の人を呼んでもてなした。昭和初期まで約300年間続いたそうです(福原百年記念誌)。
写真は黒田家の子孫が見せてくれた版木で、摺ったものを各農家の馬小屋に張ったそうです。







2010/11/26 9:13:27|その他
名馬「三国ふじかけ」を祀っる川越最古の馬頭観音
川越市福原(旧中福村)のはずれに「三国塚」があります。ここは川越最古の馬頭観音が祀ってあり、三国観音とも言われてます。
江戸時代初め、徳川将軍家より川越藩主、松平信綱に名馬「三国ふじかけ」が預けられました。信綱はこの名馬を新田奉行の中沢弥兵衛に預け、弥兵衛は足軽頭で百姓になった中福村の開発請負人でもある黒田三右衛門にわたしました。
高齢であった「三国ふじかけ」は老衰により没してしまいました。その死を悼み、この地に馬頭観音を建立しました。







2010/11/25 8:07:24|小江戸川越
仙波小「川たんけん」発表
子供たちにメダカの雄と雌の違いを教えてもらいました(左上)

腹ビレ:雌の方が長い。雄は短い。
   背ビレ:雄は切れ込みがあるが、雌にはない。
   尻ビレ:雄は大きく、平行四辺形に近い。雌は小さく台         形に近い

また、紙芝居でも上手に説明してくれました(左下)。