新くさびら紀行

くさびらとはキノコです。歴史の街並みを旅行するので紀行にしました。
 
2010/10/18 6:10:17|歴史の街並み
秩父の「和銅の遺跡」
秩父盆地の東の端、秩父市黒谷に和銅の遺跡があります。ここに和銅を露天掘りをしたと言われている場所が今も残ってます。
慶雲5年(708)武蔵の国秩父郡から銅が献上され、朝廷は年号「和銅」と改元し、和同開珎が鋳造されました。
和銅とはニギアカネ(熟銅)と呼ばれ精錬を要しない自然銅です。








2010/10/16 19:49:07|小江戸川越
氷川神社本殿の彫刻と山車
川越まつりは、氷川神社の神幸祭が起源とされています。山車の人形を主題に嘉永3年(1850)に建てられた本殿は、川越まつりの山車の人形を主題にした彫刻がほどこされています。この本殿の全面を覆う「江戸彫り」と呼ばれる精巧な彫刻は、江戸化政年間の名彫り師・嶋村源蔵の手によるものです。
本殿西面の大羽目は、牛若丸で浄瑠璃姫との出会いの場です。平泉に下向する途中、三河の国で浄瑠璃姫の奏でる三味線に合わせて笛を吹く姿です(左上)。
本殿腰回りの彫刻の子狐丸(右上)は鍛冶町(現幸町)山車に使われています。







2010/10/15 20:39:15|小江戸川越
川越氷川神社本殿の価値
川越氷川神社本殿の価値を初めて認めたのは、大森貝塚の発見者エドワード・モースであったという。それからか約70余年後に県有形文化財に認定されました。
この隅に人麻呂神社があります。この中に小さい人麻呂像があり、鎌倉時代の歌人で彫刻家の頓阿上人の作と伝えられています。また「山上憶良の令反惑情(まどえるこころをかえさしむる)」長歌碑があります。この歌碑を建てたのは「三芳野名勝図絵」の著書中島孝昌の孫です。この年になって初めてきずきました







2010/10/14 21:11:37|きのこ
最近名前が付いたハダイロニガシメジ(肌色苦シメジ)
ここのところ雨が多いので、キノコがかなり発生しています。今日、知人の紹介でキノコを観てくれと持参できました。最近名前が付いたハダイロニガシメジ(肌色苦シメジ)でした(上左、中央)。当然図鑑には載っていません。
食べられますかという質問がきましたので食毒不明と答えました。肉をかじって、すぐに吐き出すと苦かった。その人は苦くても食のきのこあるという。確かにウラベニホテイシメジがそうです。彼は食べ物関係でキノコ歴の長いという。自分は進めない。
左下と上右はハツタケ。







2010/10/13 18:45:23|鳥と昆虫と魚
腹黒でなくハラビロカミキリ
このカマキリは腹黒でなくハラビロカミキリです。カマの腕やおなかが太めです。他種とは形が違うから見分けもつきやすい。木の上にいることが多いが、地面にいることもあります。写真はすべてハラビロカミキリ。
一番大きいカマキリは草原で見られるオオカミキリで、喧嘩も強いそうです。。