救済会 憩の園在日協力会

1958年、ブラジル社会福祉法人救済会「憩の園 (いこいのその)」は、主に日系人のお年寄りを対象とした老人ホームとしてサンパウロ市に開園し、その役割を担って参りました。 しかし、ブラジルの国状および日系人を対象とする施設の性格上、「憩の園」運営の現状は、近年大変厳しいものとなっています。 余儀ない事情で「憩の園」に老後を託した在園者の方たちへ、日本から温かい支援をお届けし、余生の日々に懐かしさと喜びを味わっていただけたらと、日々願っています。
 
2017/06/29 22:17:00|入会のご案内
ご支援のお願い

1996年、日本で数名の支援者が中心となって「憩の園」在日協力会を発足いたしました。以来、皆様からのご協力で支援金、リハビリ・介護用品、衣類等の援助を行っております。また、ブラジル日系社会の現状や「憩の園」の広報活動にも力を入れております。日本と異なる厳しい状況下で暮らす入園者を支援するために、当会へのご入会をお願い申し上げます。
  1. 個人会員:年会費 1口 2,000円から
  2. 賛助会員:随時、随額の支援 物品その他の支援
  • 会費振込先:【郵便振替】
           加入者名:憩の園在日協力会
           口座番号:00150-0-583489
          【銀行振込】
           銀行名:三菱東京UFJ銀行  新宿新都心支店
           店 番:329 口座番号:0086693
           口座名:憩の園 在日協力会 高橋久子   
「憩の園」在日協力会事務局
〒160-0023 東京都新宿区西新宿8-13-18 クレイン西新宿101
TEL/FAX 03-3361-5679     infomailhisako@yahoo.co.jp 

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2022/09/11 11:17:17|その他
第46回しんぼくバザー 無事開催!!
8月20-21日、第46回憩の園しんぼくバザーが開催されました。
初日はあいにくの空模様でしたが、依然続くコロナ禍の中で、3年ぶりに恒例行事を開催できましたことは、関係者一同何よりの喜びです。

一日も早くパンデミックが収束しますよう、心より願っております。







憩の園 しんぼくバザー

46º. Bazar Beneficente do Ikoi-no-Sono 

憩の園「しんぼくバザー」

o Bazar da Confraternização, da Amizade

2022 年 8 月 20 日(土)21日 (日)


憩の園では、上記の日程でバザーを開催します。
 

  • 販売
    食料品、雑貨、手作り品、掘出物、健康用品、花
  • イベント
    もちつき、ショー、子供の広場、ビンゴゲーム
  •  

憩の園は、ブラジル最大の都市サンパウロ市郊外にあります。
ブラジルは、長い間新型コロナによるパンデミックに苦しんできました。

現地からの報告によりますと、少なくともサンパウロではパンデミックは収束したとみられています。そんなことから、サンパウロでは中止していたイベントやフェスティバルが続々と復活し、大盛況だそうです。

憩の園恒例のバザーも、きっと多くの方々が訪れ、パンデミック以前のように盛り上がることと思います。
バザーが成功裏に終わることを心より願っております。


南米バザー中止のお知らせ

なお、毎年在日協で出展をしてまいりました「ラティノアメリカーノ チャリティーバザー」ですが、今年は新型コロナの感染拡大状況に鑑み、中止することが決定いたしました。
昨年、2年ぶりに再開したばかりでしたが、誠に残念でなりません。
楽しみにして下さっていた皆様に、ホームページにて失礼ながら、謹んでお知らせ申し上げます。








写真で見る憩の園の昔の風景 
まだデジタルカメラが十分に普及していない頃に撮られた
憩の園の古いネガフィルム写真を紹介いたします。

時代は変われども、憩の園のアットホームでハートフルな雰囲気は
変わりません。秘蔵写真(!?)をご高覧下さい!!














  救済会創立者の1人で 「ブラジル日系移民の母」として親しまれた
  渡辺トミ・マルガリーダ元会長の墓前にて(1997年一周忌)







憩の園入園者の俳諧と物語
日本から遠く離れたブラジル。
様々な試練を乗り越え、たどり着いた憩の園で過ごす日系人の方々。
そんな入園者の俳諧と物語をお届けします。


はるか昔 この世に生まれた
富士山のふもと
その風景を堪能して




TOSHIMI は、93 年前、富士山のふもとに生まれたことを
誇りに思っている。 富士山は、本州で最も高く、
世界でも最も美しい風景の一つに数えられる。

「12 歳の時に日本を出た。父の JUN・Y はブラジルに移住するために
 家族皆を説得した。この国では霜も降りないし、
 土地がとても良いんだ、って言ってね。」

思い起こすのは、身を粉にして働いた記憶ばかりだ。
新しい仕事を求めて移動したこと、内陸部の農場で汗を流して働いたこと、
グアルーリョスからサンパウロに、サトウキビを運搬するために
3 万クルゼイロで購入したシボレーのトラックのこと。

「ここブラジルで結婚した。でも、日本に嫁さんを迎えに
 行かなきゃならなかった。それがあの頃の習慣だったんだ。
 彼女のことは写真でしか知らなかった。 わりと美人だったよ。
 父が彼女の家族を知っていたんだ。5 人子供ができた。」

今の TOSHIMI の厄介事は、仕事を続けたいという思いに、
体がついていかないことだ。
「爺さんになってくると、何だかのろまになってしまうね。もう働けないな」

Y TOSHIMI







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