男と女

「男と女」について、本当にあったことをエッセイに、夢や希望を小説にしてみました。 そして趣味の花の写真なども載せています。 何でもありのブログですが、良かったら覗いて行ってください。
 
2024/12/30 4:22:31|エッセイ
艦長と副官
 居酒屋「隼」は、夫婦でやっている店です。マスターは、自分のことを艦長と呼び、奥さんのことを副官と呼んでいます。
 昔から軍艦では艦長は一番偉い人であり、副官は偉い人の世話をするのが任務で、いわば秘書です。
 確かに、「隼」の艦長は怖い顔をしていて、いかにも偉そうに見えます。町内にある南九州大学の応援団長も、この艦長には日頃世話になっていることもあって頭が上がりません。消防団長をしたり、ボーイスカウトの面倒を見たりでなかなか忙しい人です。
 一方、副官の方は加藤治子に似た美人で、とてもつつましやかで優しそうで、いつも微笑みを浮かべています。艦長は、客の前では威張っています。「女房なんか、俺の意のままに動いている」というようなことを言うし、客に対しても威張っています。でもそれは、副官が聞いていないときだけで、副官がいるときは、猫なで声で「順ちゃん」なんて呼んでいます。
 その昔、艦長と副官が夫婦喧嘩をして、副官が20キロ離れた実家に帰ってしまいました。すると艦長は、一生懸命自転車で迎えに行ったと言います。また夫婦喧嘩で物を投げるときも、ちゃんと順ちゃんに当たらないように投げると言います。
 顔も怖いし、人前ではあんなに威張っている艦長ですが、どうも副官の前では形無しのようです。
 夫婦のことは、本当にわかりません。







2024/12/29 6:18:42|エッセイ
新妻会(にいづまかい)
 西都市は、宮崎市の北に隣接する、古墳群ある美しい町です。町の丘にある西都原(さいとばる)古墳群は有名で、神話に出て来る「ににぎの命」と、「このはなさくや姫」の古墳の他、数百の古墳があります。
 この古墳のある広場は、春には一面の菜の花が咲き、秋にはコスモスが咲き乱れます。菜の花が咲いた景色は、テレビのコマーシャルにも使われ有名になりました。訪れる人も多く、宮崎県の観光名所のひとつです。
 西都市は、僕が勤務する新田原(にゅうたばる)基地にも隣接していて、ここの自衛隊協力会の名前が「新妻会」です。西都は昔、「妻」といったことから、新田原の「新」と、「妻」をとって、新妻会なのです。
 誤解を招き易い名前で、僕が着任したときに、新妻会との懇親会があると聞いて、若いお嫁さん達との宴会だと思い喜んでいたら、年寄りのおじさん達ばかりでがっかりしたことがありました。
 ある日、飼い主さんが官舎に来て、カレンダーに書いてある僕の予定表を見て怒り出しました。「女とゴルフに行くとは何事だ。」と言うのです。よく見ると、カレンダーの下に、「ゴルフ(新妻会)」と書いてありました。
 名前を付けるにも、誤解のないようにしないと、とんでもない迷惑を被ることがあるのです。







2024/12/28 4:31:27|エッセイ
髪の毛の掃除
 宮崎で単身赴任をしたことがある某司令官が言いました。
「官舎に女が来た時には、必ずと言ってよいほど髪の毛が落ちるから、女房が来る前にちゃんと掃除しておかなければならない。そのためには、掃除機で吸いとるのだが、それだけではダメだ。掃除機の中のゴミを捨てる必要がある。それでもまだ不十分で、もう一度掃除機をかけて中を髪の毛の入っていないゴミの状態にしておかなければならない。それでなくては疑われるのだ。」
 さすが偉くなる人、仕事のみならず、日々の生活でも細心の注意を払っていたのです。







2024/12/27 3:56:43|エッセイ
寝言
 僕は、寝言をいう癖があって、特に日本酒を飲んだときがひどいようです。若い頃は、真面目な寝言が多く、号令をかけたり、仕事のことなどを言っていたようですが、これは飼い主さんの証言によるもので、一人暮らしのときは確認のしようがありません。
 ある日、テレビのコマーシャルに釣られたのと、いつも飲み歩いている穴埋めにと、飼い主さんに指輪を買いました。そのことで夫婦の関係は、極めてうまく行っていました。
 基地の盆踊り大会があった日のことです。この日、飼い主さんが単身赴任先の宮崎にやって来ました。僕は、お客さんを相手に午後からかなり飲んでいたし、飼い主さんもご機嫌でした。僕は、飼い主さんを連れて町に飲みに出掛け、二次会、三次会と飲み歩き、家に帰って来たときには、ヘベレケでした。それでも、その晩は静かに寝ました。
 翌朝のことである。目が覚めると、飼い主さんが怒っています。僕は、なぜ怒っているのか訳がわかりません。聞いてみると、床に入ったらすぐに飼い主さんを捕まえて、「君、今日は泊まって行かないか。」と、しつこく口説いたというのです。「あんたは、いつもあんなことを言っているのか」と、取りつく島もありません。
 お金と努力を注ぎ込んで作り上げた信頼関係も、たった一言の寝言で脆くも崩れ去ったのです。
 信頼は、築くには長い歳月と努力が必要ですが、崩れるのは一瞬なのです。







2024/12/26 4:52:44|エッセイ
大八郎と鶴富姫
 季節は秋なのに、まだ夏の太陽が威張っている頃のある日、宮崎県北部にある椎葉村に行きました。海岸の日向市から約60キロ山の方に入ったところにあって、途中の道幅は狭く、車で2時間近くもかかります。椎葉村の町並みは、山あいの狭いところに密集しており、長い間よくもこんなところで生活していたものだと感心させられます。
 源平合戦の折、壇の浦で破れた平家は、西へ西へと逃れて行き、日向の国に来てからは、更に九州山地の山奥に向かって逃避行を続け、椎葉の山あいに落ち着きました。
 その中に平清盛の直系である鶴富姫がいました。鎌倉幕府は、那須与一の弟の那須大八郎に討伐を命じます。
 長い月日をかけて椎葉の村に辿り着いた大八郎は、彼等に叛意がないことを知り、やがて村を治めるようになります。その間に、大八郎と鶴富姫は恋に落ち、やがて鶴富姫は懐妊しますが、非情にも、そのとき幕府は大八郎に帰還を命じます。涙ながらに大八郎は鶴富姫を残して、村を後にしました。
 やがて、鶴富姫は女児を産み、その娘の嫁ぎ先の家がずっと椎葉の村を治めました。村人達は、このことに感激し、姓を皆、那須と椎葉に改めたといいます。
 単身赴任だった僕も、このような恋がしたかったのですが、残念ながら宮崎に子供を残すことはありませんでした。