春宵の歌-03- 冨士枝は隣町に住んでいて、この春新しい仕事を見つけてこの町に引っ越して来たこと、独身で、以前は恋人がいたが今は別れていること、趣味は読書で小説が好きなこと、最近パソコンの勉強を始めたことなどを話していた。私が、彼女ともっと話したいと思って聞いた。 「最近は、お酒を飲む女性が多いけど、冨士枝さんは飲みますか?」 「ええ、少しなら頂けます。」 「じゃあ、一度ご一緒してくれませんか。」 「ええ、私も夜なら時間がありますからいつでもお付き合いできますわ。」 「じゃあ、今日は?」 「ええ、大丈夫です。」 「アパートの近くに馴染みのスナックがあります。そんなに高くないし、気楽に飲めるところです。」 それから夕方の時間を約束して、私達は家路に向かった。 自分の部屋に戻って、夕方のことを思うと、私は気もそぞろだった。テレビを見ていても頭の中では冨士枝のことばかりを考えていた。結婚以来、今までにたくさんの女性に会ってきたが、こんなに胸がときめいたことはない。じっとしていることができず、とうとう家の中の掃除を始めたりする始末である。 約束の7時になった。私は早めに部屋を出てアパートの玄関で冨士枝を待っていたが、時計を見るとまだ10分も前だった。約束の時間きっかりに冨士枝がやって来た。私は冨士枝の顔を見てホッとしたが、自分の気持ちとは逆に冷静な態度を装っていた。 店までは歩いて10分ほどである。今までのあまりに大きかった興奮とは裏腹に、私は無口になっていた。私が先に店に入って行くと、ママが「いらっしゃい!」と大きな声で迎えてくれたが、後ろから入って来た冨士枝を見て「あらっ、いらっしゃいませ。」と今度は取り澄ました声で言い直した。 店はまだ開けたばかりで、他に客はいなかった。 「まあ、とてもきれいな方ね。お嬢さんなの?」 ママが言う。 「いや、同じアパートの人だよ。最近、越して来られた姫野さんだ。」 「はじめまして。」 冨士枝が、丁寧なお辞儀をしながら挨拶をした。 「こちらこそ、よろしくお願いします。」 いつもは度胸のいいママだが、冨士枝の美しさと気品に気圧されてか、今日は神妙な態度で挨拶をしている。私達は最初にビールを飲み、途中から水割りに変えた。冨士枝はけっこう行けるようで、ゆっくりではあるが、ビールを何本か飲んでいた。 ―続く― |