新くさびら紀行

くさびらとはキノコです。歴史の街並みを旅行するので紀行にしました。
 
2012/07/07 23:46:02|植物
ネジバナ(モジズリ)
このところ草原、芝生の中のネジバナが目立ちます。花穂がねじれるからネジバナという。モジズリは古名。







2012/07/06 9:42:46|きのこ
欧州人が好む「ヤマドリタケの仲間」
>今年もこの季節が巡ってきましたね、次はどんなキノコに会えるか楽しみです。昨夜の天気もキノコの発生をうながします。このキノコは欧州人が美味しいというキノコのひとつ。フランスでは「セップ」イタリアでは「ボルチーノ」。日本ではヤマドリタケモドキ(左)で埼玉県西部にありました。右、中央もヤマドリタケモドキだと思われる。







2012/07/03 19:48:15|きのこ
キノコの女王「キヌガサタケ」
友人から「キヌガサタケ」が発生しているとの連絡がありましたので、写真撮りに行きました。竹やぶの傍を草刈りしていたら見つけたとのこと。
右のきのこは栽培したタモギタケ。
7/1に流したきのこの左と中央はニセアシベニイグチに近いです。
理由は管孔は傘の厚みに比べて著しく短いから。







2012/07/01 16:28:49|きのこ
「イロガワリ(色が変わり)」キノコ
埼玉県西部に発生していた「イロガワリ」。このキノコは、傷つけると直ちに酸化されて濃い青色に変化するので、子供が興味をもちます(右)。
左と中央はイロガワリのように傷つけると直ちに酸化されて濃い青色に変化しますが、ニセアシベニイグチようです。







2012/06/29 19:32:51|歴史の街並み
川越藩主柳沢吉保の三冨(とめ)新田開発
6/22日に記載した続き。旧島田家住宅(三芳町指定文化財)の庭に合ったのを写真撮りました。元禄7年(1694年)7月、長年争いを繰り返してきた北武蔵野のこの土地は、幕府評定所の判断で、川越藩の領地であることが認められました。これにより川越藩主柳沢吉保は新田開発を推進し、吉保の命を受けた筆頭家老曽根権太夫らの家臣は、まず開発に従事する農民を集めました。その出身地は上富村名主忠右衛門、中富村名主喜平次は亀久保村から移住したように、主に近隣の村々から集まったようです。開発が始まってから2年後の元禄9年(1696年)5月に検知が行われ、上富91屋敷、中富40屋敷、下富49屋敷の合計180屋敷の新しい村々ができあがりました(「柳沢吉保の実像」みよしほたる文庫より)。これが三冨新田です