カツマタクラス

 
2019/06/29 16:20:40|その他
論理先生?
今年から、意識して言っていることがある。
「論理的に考えられないと、うまくいかない」
当たり前の話だと思っていたから、特に言葉にする必要はないと思っていたのだが、年の初めのころの新聞で気が変わった。
経団連の会長が原発を再稼働させるよう提言した際に、反原発の人たちが会談を要請した。それを、「あなたたちには論理がないから話さない」と言ったという記事である。
先日偶然、古いDVDを見た。ガリレオというドラマで、主人公が「子供は苦手だ。話をすると蕁麻疹(じんましん)が出てくるから」と言っていた。奇しくも(くしくも 意外な偶然の一致で)経団連の会長と同じことを言っていたわけである。子供には思考や会話に論理性がないから、論理で生きている者には、生理的(せいりてき)に受け付けられなくなる。
大人の世界では、好き嫌いに関係なく認めたり、それに基づいて動かなければならないことが沢山ある。むしろ、そればかりといっていい。
最初にそれを意識したのは、やはり「三国志」なのだろう。主人公の一人諸葛亮孔明は、規則を破った馬謖(ばしょく)という才能ある若者を殺した。当時の私は、死をもってつぐなうべきどんな理由があったのか理解していなかったが、大好きな孔明ですら従った「論理」をなにより重いものと感じた。
ここはこの論理に従う。「悪法も法なり」。ここにとどまらないにしろ、そこからすべてがはじまる。