カツマタクラス

 
2025/09/30 8:29:49|その他
難波の宮の跡地は…
大阪城の東南側でいいだろうか。お堀を隔てて建っているのが大阪NHKになるわけだが、それに隣接する形で市立博物館がある。その二つの施設の前には、大きな高床式の正倉院のような倉庫があって、その広場に整然と礎石の跡が並んでいて、この広場が倉庫群の跡地であったとわかるようになっている。なんでそんな倉庫群があったのか。それはここが難波の宮だったからだというわけだ。
その難波の宮の跡地で、正倉院の宝物のレプリカを展示させた展覧会があった。レプリカと言っても現代の名工たちが全精力を尽くしてそっくりに作ったもので、本当に見事な「お宝」だった。今回はわざわざ時間を割いてこの展覧会にも行った。なぜかというと、実物は絶対に味わえないものを味わえるからだった。実際、歴代の天皇どころか、この300年間で、たぶん20人と味わってないし、家康や秀吉でさえ経験していないものだからだ。それは「蘭奢待(らんじゃたい)」だ。
興味の有る無しもあるのだろう。信長や義満は嗅ぎたいと思ったのだから、家康や秀吉は嗅ぎたいと思わなかっただけなのかもしれない。しかし、奈良時代から1200年以上史上最高の香り、香りの「お宝」と人々が認めてきたものだ。
香りの文化は昔から世界中であったようだ。香は焚いて聞くもの。匂い袋も確かにあるが、日本で昔からあるのは、きっと焚いてはじめて意味があるものと思ってきた。それはこの蘭奢待のせいだ。正倉院に宝物と収められた時には、「お宝」として残ってきたのだから。いや仏前の線香のせいかもしれない。いずれにしろ、匂い袋のようなただにおいのあるものを詰めただけというもの、香水のようなものとは違う文化の気がする。
そして、その展示方法も気になっていた。焚いて聞くものをどうやって展示するのか。
これに関しては微妙な結果だった。香りの成分を脱脂綿に湿らせて、ガラスで蓋をしてあった。そのガラスの蓋にたまった匂いを嗅いでくれというものだった。もちろん、二十くらい並べてあったが、残念ながら焚いたものを味わうことはできなかった。さて、その匂いは…
結論から言おう、大変良い経験をさせてもらった。鼻で嗅いだ瞬間、色を嗅いでいる気になったからだ。透明な、透き通った緑と青。甘くて、さわやかで、ねっとりして、すっきりする。深い森と快晴の青空の世界をにおいで表したような、と感じた。不思議な香りだった。自分のためにもどこかに言葉で記録しておかないといけないな、そう思った。

この展覧会では、音の「お宝」、測りの「お宝」など、体感することでその価値を初めて把握できるものを展示しようと努力していた。だったら、窯変天目の茶碗で抹茶を飲ませてくれよ。人間の贅沢にはきりがないのかもしれない。いい経験をさせてもらった。