態度のひどい発言をしたい。しかし、いわずにいられない。
世界規模でみてもたえがたい現状であるが、国内についても耐え難いことがつづいている。 そのなかでも一番つらいのは、警察が無茶句茶なことだ。神奈川県警察の、20代女性見殺しの件に至っては、自分にも年頃の娘がいるだけに許せない。 袴田事件が結審したのは、つい最近である。逆にいうとごく最近まで何十年も前の過失でさえみとめない静岡県警察も神奈川県警察と同様なのだろう。それくらいみとめないのだとしたら、今でさえ過失や姿勢がかわっているとはおもえないからだ。もはや信頼できる警察はないのではないか。警察を信頼してきた私でさえそうおもう。 トレイシーチャップマンという歌手は、その歌の中で、警察はいつも遅れてやってくる(すべておわってしまってから、したり顔であらわれる)とうたっている。 先日、込みいった路地にはいりこんでしまって、とまどいながらすすんでいたら、脇の駐車場にエンジンをかけっぱなしのパトカーがとまっていた。丁度左折禁止の出口だった。どうしてこんな場所を左折禁止にしなくてはいけないのかと思うと同時に、ああ間違えたドライバーをつかまえるのね、とわかった。過失をきびしく追及することはしても、悪意のある犯罪には対応できないのだ。そんなことばかりが目につく。
権力は、つかっている者には自覚できず、追及されないので腐敗しやすい。 もう結果がしめされているのかもしれないが、「本当の経緯」と「警察の自省」をなっとくできるかたちで示してほしい。そして、のぞまないあやまちによりそえる、悪意の犯罪を断じてくれる警察になってほしい。いや、結局うやむやになっているのだろうか。
よい警察官もたくさんいると信じたい。自制心だけに頼って縛る人がいなくなれば、社会が成り立たないのかもしれない。しかし、坂口の「悪人礼賛」に心が動いていて、つらい。 |