カツマタクラス

 
2025/01/02 9:18:55|その他
謹賀新年
ローマの市内には、白亜の街がある。なんとか言う川の対岸だったと思うのだが、その純白さに心を奪われた。あとで聞いたバスガイドさんの話によると、旧市街(フォロロマーノ)の使われなくなった建物を壊して、いいところだけを使って建てたものだということだった。もちろん、近代になってから作られたのではない。2000年以上の歴史があるから、「もう古いから廃品利用だ」という人が出るのは仕方がないことだし、いまやその白亜の街も立派な古い歴史遺産となっている。かつてフェアウェルパーティか何かで、感想を聞かれた時、思わず「古くて新しい」と言ってしまったが、建物も行為も考え方も生活様式も人間がしそうなあらゆることが示されていて、とても勉強になった。
なんでこんな思い出話をするかというと、時間も場所も全く違うところで、似たような経験をしたからだ。放課後デイサービスに通う児童はどうしても破天荒なところがあるが、びっくりするほど面白いことをすることもある。
静岡にある埋蔵文化財センターに行って、勾玉づくりをしたのだが、通常長くて1時間ほどの工程だろうに、1時間半以上かけて石を磨き上げて作品を作った。丁寧に磨いたのでかなり光沢のある白い勾玉が出来上がった。作業の終盤に新聞紙やマーカーで色を付けても面白いよと言われて、心が動いたようである。完成!と言って紐までつけたはずなのに、アッと思った時にはマーカーで色を塗ってしまっていた。あっさりと透明な白を捨ててしまったのだ。内心あーあと思いながら帰ってきたら、施設の中でも何かごそごそやっている。二時間ほどして、自宅に帰るという段になって、突然話しかけられた。「先生、いいのになったよ」ラピスラズリのような地に複雑な白い模様のついた勾玉がそこにあった。
筒状の蓄音機を発明したエジソンが、レコード盤になった他社の蓄音機を見て、大変反省したという。
より良いものを目指す心は、ここまでということがあってはいけないのだろう。一方で、せっかくの作品を台無しにしやがって、ということも結構あることが多い。人生の面白さもそこにあるのかもしれない。
新しいこの一年。千年後の子孫がみても、ぜひより良いものに変えたといえる、あるいはいいものをしっかり守ったと言える一年にしていきたい。