大阪万博が始まった。息子には、「未来を見ておくことは必要ではないか」といって誘ってみたが、行く気はないと断られてしまった。前回の大阪万博のインパクトが強すぎたためか、 熱くなっいてない姿に拍子抜けしている。しかし、一方で、開幕した様子を見て、行こうかどうかなんとなく迷ってしまっている。 前回は太陽の塔があった。何から何まで型破りに感じたものばかりだった。ドイツ館で食べた昼食は、バタ臭く脂っこくて家族誰一人完食できなかった。見たいものは飽きるほどあったのに、セレモニーめいたものは一つも見られなかった。もっともっと見たいのに、というものばかりだった。たしかに未来を見た気がした。 今、現実になっていないものもたくさんあった。いまだに覚えているのは、人間洗濯機でも日本館でもない。火星館である。そこでは火星の地面を歩かせてくれた。今のプロジェクションなんとかなどの技術から比べれば、たぶん実につまらない展示だったのだろうが、生きているうちに宇宙旅行はできると、その時は本気でそう思ったものだ。 4月現在の万博2025を(テレビで)見る限り、むしろ現実を見せつけられている気分だ。はっきり未来的と言えるのは建物ぐらいなのに、未開館の多さに現在の世界情勢の厳しさ、経済の苦しさを見せつけられている気がしてしまう。洗練された建物は桜の形の日本館や芋虫のような電器館(間違っていたらごめんなさい)ほどのインパクトは感じられない。話題の人間洗濯機も、よくもそんなことを考えるなといった破天荒さ荒唐無稽さが受けたのであって、それは未来の可能性を夢見させてくれるものだった。 さて。それでも行ってみようと思う。なぜか。無茶苦茶たくさんの国が開設しているようだから。世界一周はできないので、万博のできる限りの国の施設を回って、「世界の現実」を俯瞰(ふかん 眺めまわしてみること)してみたいから。未来を見るより、現実を実感して希望ではなく、絶望を手に入れそうで怖いが。 怖いといえば、16日に80代の窃盗犯のことがニュースに流れていた。前回では、世界に日本を知ってもらおうという気迫があった気がする。他でない老人がこんなニュースのもとになったところに、ますます現在を見せつけられているようで、つらかった。
ナツメヤシは、ほとんどの苗の葉の先,葉の一枚が、枯れてきている。苦しくても未来を信じて育てるしかないと思っている。あきらめたら、終わりだ。 |