中国には、本当にたくさんの人々が輩出(はいしゅつ 世に出ること)されてきた。史記という歴史書の冒頭でも言っていたが、それこそ神に等しい立派な人物から、これ本当に人間がやったこと?と思う人間もいる。一人の人物がその人生の中で全く違う姿として現れる場合もたくさんある。漢王朝の始祖(しそ 始まりの人)劉邦(りゆうほう)は、もともと名前すら怪しい。劉邦の邦はおやじという意味らしいし、人望と運だけで上り詰めたと思うほどなのに、最後は韓信(かんしん もっともすぐれ、信頼された軍人)でさえ殺してしまった。妻子に至っては骨肉の争い(こつにくのあらそい どうにもひどいけんか)をしたようだ。 そんななか、できるなら真似てみたい親子がいる。晏弱・晏嬰(あんえい・あんじゃく)のことだ。特に晏嬰は、その治世の間、あの春秋戦国時代にあって戦がなかったという。理想にすぎる書き方かもしれないが、宮城谷昌光著「晏子」という本が面白い。 ことばとそれを貫ける人間が平和を実現できるのである。
ちなみに、前回マグダラのマリアの説明の際、姓を売ると書いてしまいました。もちろん、性を売るです。ごめんなさい。
どう考えても、今の戦争は将来のイスラエルのためにならない。問題は、世界の裏側の私でさえそう思っていることだ。 |