≪小江戸川越のぶらり散歩(写心紀行)≫

私は小江戸川越市街地の北のはずれで生まれ, 以来ず〜とそこに住んでいる超高齢者です。
 
2020/07/21 11:48:02|その他
喜多院の羅漢像「過酷な時代に長寿を全うした女性」
 喜多院の羅漢像の中に、厳しい時代にもかかわらず、この時代に延命長久が叶い、長寿を全うし、極楽往生を遂げて女性がいる。その記念塔として建像されたのが、釈迦如来像に向かって左側の「阿弥陀如来像」である。
 その背面に「文政三庚辰年十二月二十四日 「安誉妙心大姉九拾五歳」 文政八丁酉三月 木ノ目村杉山半左衛門 同村 杉山半兵衛 志義町願主麻屋惣兵衛 藤田村 松本友稔」と刻されている。この安誉妙心大姉は、徳川封建社会の過酷な時代に百姓の妻として生き抜いた人物と言えよう。
 木ノ目村は米作地帯で、杉山家は代々名主を勤め、年貢皆納に奔走しただけでなく、村民からも信望の厚い家柄であったということです。この杉山家の「安誉妙心大姉」が天寿を全うした機会に記念塔として建立したものと思われる。

 写真は、10万円の給付金を頂いたので、瞬間体温計を購入しました。







2020/07/20 10:21:26|その他
女性が寄進した羅漢像(喜多院)
 喜多院の五百羅漢は540体基でその内、女性の石文のあるものは「大仙波村女講中」と「同心町の名古屋辰次郎母」が寄進した母子像である。
 「大仙波村女講中」と刻まれた像は、阿弥陀如來像の後、左から5番目に位置し、像は損傷しているが台座には明らかに見える。
 「同心町の名古屋辰次郎母」が寄進した母子像は、釈迦如来像に向かって右側に存在する。同名の母子像が2体ある。「子供諸人延命長久 享和二戌壬四月五日 同心町 名古屋辰次郎 母」「施主 子供中 世話人 名古屋辰次郎 母」と台座に刻まれている。
 同心町とは現在の幸町に属する。同心の意は川越城下の警察行政にあたる下級武士のことで、その武家屋敷があったところである。したがって、名古屋辰次郎・母は同心に属する下級武士及び家族であったと思われる。その辰次郎の母が二基の羅漢母子像を寄進したのである。喜多院の五百羅漢には、母子の羅漢像が13基あり、共通する理念のもとにつくられたと考えられる。当時、東日本では大飢饉に見舞われていたという。
 川越藩領も寛保四年の大飢饉、天明二年の浅間山の大噴火による降灰、同四年・七年と続く冷害にあっている。領民たちは窮状打破と死者への冥福を祈るために羅漢像を作ることを考え、飢饉から救われわが子の延命長久と平和な生活を求め祈念塔として、女性が中心となって、母子像の羅漢を建立寄進したのではと考えられる。
 
 







2020/07/19 21:05:57|その他
まだ、アジサイがきれいでした。
新河岸川散歩、氷川神社裏に咲いていました。







2020/07/19 16:56:24|その他
野あざみと蝶







2020/07/18 15:51:56|その他
今日の川越街風景
今日は午前中早かったので、観光客が少なかったです。