新くさびら紀行

くさびらとはキノコです。歴史の街並みを旅行するので紀行にしました。
 
2011/11/01 8:59:26|歴史の街並み
金山城堀切(切通し)
続き。金山城は戦国時代には山全体を利用して城郭が建設されました。堀切(切通し)が深いのに驚き(左上、上中央)、石垣も多く残ってました(左下)。右上は日の池。
この城は上杉氏、武田氏、北条氏、佐竹氏など戦国時代の雄に攻められ、耐え抜いた難攻不落の名城でした。







2011/10/22 18:23:10|その他
関東七名城の一つ「金山城」
続き。金山城は関東七名城のうちの一つと言われてます。太田市郊外にそびえる金山の頂上にある山城です。現在は、本丸跡とされている地点に新田義貞を祀る新田神社があります。
ハイカーにも人気なので、この日も地元の小学生がハイキングにきていました。







2011/10/21 18:24:10|歴史の街並み
呑龍上人の墓の前に「孝子源次兵衛の墓」
親の病気を治そうと、国禁を犯し保護鳥の鶴を殺し、その血を父に飲ませたた少年をかくまい罪人となり、呑龍上人が少年を伴い信州に逃走。その後、恩師であり、日本国最高の僧侶であった観智国師の遺言によって赦免となり、66歳の春に大光院に復帰しました(左)。
呑龍上人の墓(中央)。







2011/10/20 20:51:21|その他
呑龍さまで知られる「大光院」
10/18日、呑龍さまで知られる「大光院」に行ってきました。これは徳川家康が新田義貞を弔うために芝・増上寺から招いた呑龍上人のことで、大光院の初代住職。
呑龍さまは当時、多くの子どもが間引かれて殺されていたことを悲しみ、これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から子育て呑龍と慕われた。
私は川越の蓮馨寺の呑龍上人しか知りませんでしたがいろいろなことを学びました。







2011/10/16 17:07:43|その他
続き、秩父演習林のきのこ
続き。私たちが調査したのは標高1100m付近でした。この辺はブナ、ミズナラ、イタヤカエデの林で秩父演習林が広いのには驚きました。
センボンクズタケ(左)、オツネンタケモドキ(真中)、ムカシオオミダレタケ(右)。ずれも朽木に発生します。