関係者で話し合いをして、何年か後には埼玉に戻ることが決まった。 富士宮で仕事の上でも自治会のなかでも多少の関係が深まってしまったので複雑な思いはあるが、まあ今は、上手に戻りたいと思っている。
棚経(たなぎょう)という行事があって、毎年この時期にお坊さんが自宅に来てくれて仏壇にお経をあげてくださる。その時に近況を話し、今後のことなどに安心を得ていた。ところが。昨年年末のお経がなくなった。今年は、位牌をお寺に持ってきてくれれば持ってきたところみんなでお経をあげるからという。棚経の代わりというわけだ。だがそれではお坊さんと話をする機会がなくなってしまう。ゆっくり話せないではないか。 前回、地域も家もその文化は、それぞれで守っていくしかないのだろうということを書いた。問題はどこまでそれを続けられるかだ。お寺にゆだねないとどうしようもないことがあるように、一人で願っているだけではうまくいくはずもない。災害がなくともいろいろなものが消えていった。百人劇場、コマ劇場、SAWSS…。 名栗でも、お寺は無住が増えてきている。八坂神社の夜花火もなくなって、さて私は何ができるのか。お盆にあたって、菩提を弔うとはどうすることなのか。みんな思っていることなのだろうけれど。
どこまでなににお金と時間を使うのか。 人は一人では残せるものは本当に限られているのだろうなあと思わされている。 とりあえず、今年の迎え盆と送り盆はしっかりしよう。これを出すときにはもう終っていてるのだが。
追伸 アメリカのイスラエルのロシアのと数え上げるときりがないが、いっこうに戦争が終わる気配がない。お盆は日本人にとって終戦記念の時期なのだが。戦争などしないと言いい、ウクライナの戦争もあっという間に収束させるといった大統領が自分から戦争をしている。議会を無視して開戦し、世界中のエネルギー高騰(こうとう はげしくたかくすること)を招き、第二次大戦後のルールを壊して、どうしてアメリカ人は黙っているのか。韓国ならとっくに大統領は交代している。日本人には何ができるのだろう。現首相には荷が重すぎたのではないか。かといって誰がいるの?という気はするが。
|