前回でまとめ終わったつもりになっていたが、放射線についての感想を少しだけ述べておきたい。 それは仙台から浪江町までの高速で、事故による大渋滞に巻き込まれなければ素通りしてしまったはずの建物から始まった。インターを降りて国道6号に入った途端、あれっと思わされた。抜群に美しい一軒家が国道のわきに建っていたのだが、門のわきを通り過ぎるその瞬間びっしりと雑草が生えていたのだ。視線よりかなり高い雑草だったから、どう考えても2メートル弱はあったと思う。 「新築で建てた直後に放棄させられたんだ」と気が付いた。問題なのは、それが一軒や二軒ではなかったこと、そしてまだ浪江町に入る前だったことだ。やがて信号機のようなガイガーカウンターが目に入ってきた。現役で五月五日現在のシーベルト数を示していた。 びっくりした。ほんとか?と思わず思ってしまった。時刻は15時を過ぎていたので、とにかく浪江町の海岸を見たいと急いだのだが、行き当たりばったりだったので、なかなか福島第二原発(その向こうに原発のあるだろう森)にたどり着けない。膨大な数のソーラーパネルの原っぱばかりで、正直どうなっているの?と思わされた。なんだか道路規制をしている警官がいたので道を聞いてみたのだが、要領を得ない。よくよく聞くとこちらについ最近配属されたばかりだからという。言われた道を海岸沿い(の堤防沿い)にしばらく走って、やっとだどりつぃた時には、閉館時間を過ぎていた。浪江町の学校の廃墟である。だだっ広い、ススキだけが生い茂る中に建っているのがはるか遠くから見られたのだが、閉館した入り口の前に立って思わず「嘘だろ」と言ってしまった。この学校で犠牲者は出なかったということだが、屋上からは第二原発の煙突がみえると解説の掲示板には書いてあった。その扇状地部分の端っこは、バリケードで道路をふさいであって、これより先は通行止めとなっていた。そのバリケードの先には、枯れ木の林が広がっていた。一切、15年前から手を付けていないのだ。 少し離れた場所に復興祈念公園が、国と町の共同出資でたてられているのだが、これも一階部分だけわずかに見られただけだった。そしてその先は、10キロほどだろうか通るだけが許された国道を南下するしかなかった。パトロール車は見つからなかったが、車を止めることも許されない道路のようだった。
まともに現地の人と話す機会はなかったが、その復興祈念公園にあったパンフレットの地図が象徴的だった。いろいろな観光施設、観光地が色とりどりに書かれた中で、香典の薄墨以下の濃さで原発の場所が示されていた。被災しても事故を起こしていない女川原発では、見学者に記念品を配っていたのにである。 一秒たりとも降りることの許されない国際線に乗っているのと同じ被ばくをつづけるこの土地である。廃炉が終わっても、ここに人が戻ることがあるのだろうか。そう思った。 感じたことはまだまだあるが、とりあえず、津波被災地見学の記録はここまでとしたい。 |