前回、予想だにしないことが起こりうるという話を書いたが、暗殺を希望も否定もし切れていない。仕切れないというのは、今やっている暴力を完全に否定する一方で、暴力でそれを返すことも絶対に肯定できないからだ。アイザックアシモフの「銀河帝国の興亡」で、「暴力は愚か者の最後の砦である」 最も忘れられない言葉の一つだ。
ハリーポッターの著者が、生活保護を受けている最中にその作品を作ったという話を聞いたことがある。ゴッホが生前に売った絵がわずか一枚だという話もある。一方で、宮沢賢治も太宰治も大変な金持ちの家に生まれた、いわゆるお坊ちゃんだ。どちらも親に反発してその一生を過ごしたらしいが。 問題は、どれだけどこまで真剣に対象に向き合えるかによるのではないだろうか。人間、本当に追い込まれないと本当に価値あるものは作れないきがする。ただ、なにも生み出せないまま、短い人生を終える人もめちゃくちゃたくさんいる。知り合いの画材屋さんが齢80になって、寂しそうに言った一言がある。「いいなと思う描き手はみんな若くして崩れ、亡くなっていく」 現在の仕事柄、どうしても何か作らなくてはいけなくなって、万華鏡を作ってみたり、お面を作ってみたり、やじろぺえを作ってみたりしているのだが、新しいものをなかなか作れない。素材がないと作りようがないじゃないかと思ったり、道具がなければ作れるものは制限されちゃうよと泣き言を言ったり。 公園のドングリを拾ってきたり、海に行ったとき貝殻をこっそり拾ってみたり、庭木の選定に出た枝をほおっておいて乾くのを待って伐り出してみたり。100円ショップで買う素材のほうがよっぽど品物がよさそうに思うだけに、工夫する能力のない自分が情けない。 衣食足りて礼節を知るではないけれど、生きるのに精いっぱいではうまくいかないことが多くなるのだろうなあと思ったりしている。 「無事これ名馬」が一番正しいのかなあ。 |