北武蔵野夜話

 
「北武蔵野夜話」とは
 本編の舞台は「武蔵野は月の入るべき山もなく、草より出でて草に入る」と、唱えられたる一部であり、その昔は見渡す限りの地の果てまでの平坦な草原であったというが、日照りによる旱魃を除けば、噴火も山崩れも洪水被害もない。我が国の中でも、自然的には誠に平穏な土地である。先人たちが動物的本能でこの地域に住み着き、子々孫々まで住み続けたのは賢明な選択であったといえよう。
 因みに武蔵野とは、関東平野西部の内、西の多摩丘陵と武蔵丘陵、北の越辺川、東の荒川、南の多摩川に囲まれた関東ローム層の面積約七百平方米の台地で、本編での北武蔵野とは、現在の川越市、鶴ヶ島市、坂戸市にかけてをいう。

 本稿では武士と商人および職人の町人よりも、農民および村住で農業兼業の職人から見た歴史と民俗についてまとめたものである。 それは古代から中世の鎌倉時代、戦国時代、江戸時代、更に明治から昭和へと、激動の歴史を生き抜いた「農民の側から見た記録」であり、それを検証し子孫に書き残すための調査から始まったものである。
          
      (写真は武蔵野特有の屋敷林を背にした養蚕仕様の茅葺の農家。昭和39年頃)

 とかく郷土史については、地域に伝わった口伝を無視して、一般的な説を用いて、祖先が伝えた生活や文化までもが歪められている場合も感じられるが、かつて、埼玉の郷土史研究家S・O氏も「私は郷土史は郷土の人でなければ書けないと思っている。地元の人なら地名や人名を聞けば微妙な点まで直感的にわかるからである」と、書かれている。
 近年は行政等による文書さえ、標準的学説によって説明を行っているものが多いようであり、住居表示実施の場合なども旧来の地名を画一的なものに変えたり、頭に東西南北をつけて来訪者を混乱させたりする例が多いが、地名はその土地に住み着いた祖先の姿や生活の表れなのである。
 これらの地名は、主に戦国時代に荒廃した田畑や原野を開拓し村を開き、営々と守ってきた祖先たちの名字や土地の特徴、謂れなどから名付けられたのであり、それが現在の市町の繁栄の礎となっていることを忘れてはならないであろう。

 本稿の編纂に当たっての出典については、北武蔵野の地に古より土着し広大な原野を開拓して村を開いた祖先が代々の子孫に残した口伝から始まった。さらに、祖先の暮らしに興味を持った少年時代からの、地域の郷土史料、副教科書、更に数多の文献などの調査や古老からの聞き取りなどを記録したノートを元として、編者なりの考察を加え平成10年に私家版としてまとめたものを増補改編したものである。





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