カツマタクラス

 
2017/05/23 12:12:17|その他
通勤の風景に
 「肉眼の思想」という本の中で、人力車の曳(ひ)き手がタクシードライバーになるわけではない、という一節がありました。時代によって、かけがえのないものは変わる。それまで生活必需品で、絶対に欠かせないものであったのが、ある日突然無用の長物になってしまう・・・。エポックメーキング(画期的)なものが出るということは、それによって職を失う人も多く出るということです。時代に取り残されるのは生活にもかかわることで、仕方がない、それが進歩と考えるか。
青葉が茂るようになって、通勤途中のブドウ畑や桑畑にも緑が目立ちだしました。気になるのは桑畑のほうで、養蚕用に一定の葉が伸びると枝を幹のところで切り取るものだから、幹の辺りだけこぶが出来ます。枝ごと落とすから背も伸びません。けれど、その背丈のないこと、こぶの大きさこそが人間がその桑と関わってきた年月の長さを象徴しています。また、劉廷芝(りゅうていし)という人の詩に松柏・桑田が世の中の移り変わりの激しさを示す言葉があって(「桑田の変じて海と成る」)、私にとっては特別の意味をもつ畑の一つです。
残念ながら、養蚕業は過去のものとなりつつあります。それが使われることなくただ刈り取られて畑に捨てられる桑の葉をみると胸に迫ります。また、一方で刈り取ってくれている人の存在を考えるとき、「これを刈ってくれている爺さん婆さんの亡くなる時が、この桑畑の最期なのだ」と思って、桑の葉の青さがどうにも目に眩(まぶ)しくなってしまいます。
心踊ると同時に、切なくなる季節になりました。
教員としては、時代に合わせて進歩していくのだ、といわなければいけないのでしょうが。