カツマタクラス

 
2020/10/24 21:18:45|その他
ひと月ぶりとのことで。
フランスで教師が殺された。抗議のデモが行われているという。
ニュースで聞いた程度でものごとを判断するのは早計に過ぎる(そうけいにすぎる はやとちりになってしまう)のかもしれないが、いかにもフランスらしいと思った。フランスやアメリカは自由の国である。自由であることが何よりも大切なのだ。フランス革命のあるいは独立戦争の「成功」が、その行動の基盤にある気がするが、逆に言うと、それが行動を束縛し思考を限定させている気がする。
マスクがいい例である。
先日、校外学習の下見に行った先生から面白い話を聞いた。「東京はすごい。列車の中でも路上でも、マスクをしない人など誰一人存在しない」
忖度(そんたく 相手の気持ちを事前に想像してあたりさわりのない行動をとること)という言葉で、思考を停止し行動を自主規制してしまう。ああ、日本だなあと思ってしまう。それに対して、フランスやアメリカではよほどの状況になってもマスクをしないらしい。どんなに理路整然と(りろせいぜん 動かしようのない根拠をはっきり示して)説得しても「私はこれがいいんだ」と突き通す。他者の気持ちなど忖度せず、自己の主張を通す。彼らにとって顔を見せないことは、自由を束縛されることであるかのようだ。

小林秀雄という人が評論家としてデビューしたころの文章に「中庸(ちゅうよう まんなか)」というのがある。どこぞの文章コンクールに出したものと記憶している。平和であっても、戦時中であっても中庸を貫く。孔子はそれを実践した人だ、と言っていた。そして、「中庸はそれ難きかな」(周り中が右に寄っていても、真ん中を行く。それは実に難しいことだ)とむすぶ。
本当の真ん中を自分の中に持っていないと、真ん中を進むことはできないというわけだ。

最近、世界にとっての「中庸」がどんなものか私には分からなくなってきた。中国の香港に対する暴挙。ロシアのクリミア半島併合。私には、とても耐えられない許せないことにおもえる。だが、世界規模の判断では、けっして悪いことでもないらしい。国連の1/3しか、香港やクリミア半島の出来事を非難していないという。
日本についても同様である。先日旅行会社の人が、日本ほど安全な国はないと言っていたが、地下鉄サリン事件のように毒ガスが撒かれた巨大都市を東京以外に知らないし、(難民としか思えない)不法滞在者が不法故に5年も牢屋に拘束されている国も日本以外に知らない。参加者が参加を認めている学者を政府が参加させない会議があるという文明国が日本だという事実を突きつけられても、日本は正しい国と言えるのか。
果たしてグローバルな視点とはどういうものか。世界が日本をどういう目で見、私は世界をどういう目で見るべきなのか。自分はまっすぐな目で世界を見ているといえるのか。
ネットはデマが多すぎるという。BSは知らないが、各国のニュースを全部流しているテレビを知らない(もっとも日本語に翻訳してくれないとどうにもならないが)。視聴料を払わされているNHKが最も国民に寄り添っていてくれなくては困るのだけれど、あまり他国のニュースをそのまま流しているようには思えない。
このコロナ禍(ころなか 新型コロナでくるしむこと)にあって、正しくものごとを見ることの難しさを改めて実感させられている。

また、一か月も無配信ですね、と言われてしまいました。ごめんなさい。見えないもの、自分なりの結論が出ていないものを言葉にすることをためらっていたからです。とりあえず私の「今」を文字にしました。難解文、ご容赦。