カツマタクラス

 
2017/02/17 19:25:00|その他
しんじるところにしたがって 20 (2/17)
連絡事項
17日に最後の書写の授業がありました。「色紙」にいいと思う俳句を書く、というものでした。「咳をしても一人」が思いのほか多く、ついで「赤い椿白い椿と落ちにけり」だったように思います。即日返却なので、持ち帰っていると思います。飾ってあげてください。

前回の追加です。
19で書いた「ジプシーが全て善なる人だと思われては困る」という表現ですが、ここで言う「善なる人」とは「キリスト教的価値観の下での善人」と言う意味です。前回も書きましたが、ほとんど全ての人が正しい(善)と思うことをして生きているのであって、彼らの生活も人生観も理解していない以上、彼らにとって「いい人」が、私たちが思う「いい人」とは限らないわけです。

しんじるところにしたがって
京都奈良研修旅行で印象に残ったところを書きます。
具体的にこれという形で言いにくいことで恐縮ですが、一緒に宿泊し様子を見て一番に感じたことは、「目の前に起こっていることが直接に関わらない限り、理解したり従ったりできない生徒が多い」ということです。
これこれこうなる可能性があるからと言っても、「大丈夫だよ。従わなくてもいいよ」になってしまう。すると、本当に危険なときにしかアドバイスに従えないし、実際に失敗してしまいやすい。まずいのは、失敗してもそれが致命的なものでなければそれで過ぎてしまう。次は、似たようなことになっても動じない……という感じです。
このことにはもう少し問題があって、全体的に実感が薄い分だけ、記憶にも残りにくいようです。のどもと過ぎれば熱さ忘れる。ああ、そうねと思ってもすぐに忘れてしまう。日誌に「いろいろあった」と書くだけで、具体的にどんなことがあったか挙げられない。同じ失敗を繰り返したり、成功を活かせないということになりやすい。
対策は。反復させる・説明させる以外にないと思います。そこで、学校ではレポートをかかせたりするのですが、ぜひ京都奈良をご自宅の話題にし、様子を沢山聴いてやって下さい。
そこで、話題の提供をひとつ二つ。
一つ目は「東方浄瑠璃浄土薬師瑠璃光如来」(合っている筈(はず))のこと。琉璃は宝石(青いガラス)、その輝きを薬師如来は放っているということでしょうか。光と尊さが一緒というのが印象的ですが、そのお坊さんが言っていました。
挨拶と感謝が大切である。心がまっすぐであることが大切である。仏様の前数十秒は心がピンと張った自分であって欲しい。そういう一瞬があれば、だらだらしたときも別の解釈をしてもらえるということでした。
もうひとつは、「止観」の場面。禅宗では座禅、修験道(密教?天台宗?)では止観というようです。止観では、三つのことを整えることが大切である。調身・調息・調心。体と息が乱れなくなれば、心がきちんとする。心がきちんとすればゆがんだ見方がなくなる。縦横がぴったり揃った升目ができて、その升目に沿って見るから、汚くゆがんでいるところがはっきりする。ものごとを正しく判断することは難しい。心を落ち着け、正しい目でものごとを見るべきである。そのために、どこでもよいから、ときどき止観をして欲しい。
こんな話だったと思います。ゆがんだ私などは、正しいこととは何を指すのだろうと戸惑いますが。「もののけ姫」の曇りない眼(まなこ)のことを思いだしました。

お子さんに教わって、一緒に止観体験をどうぞ。

尊いもの・畏れるものがあるというのは大切なことに思います。