カツマタクラス

 
2018/10/29 5:56:16|その他
教科書の論説文の傾向について
視点・視野を広げさせる、というのが基本のようです。
(本当は違うと思うのですが)社会で生きていく最低限の知識は、小学生でほぼ教えきる。中学では別の見方をしようとする姿勢を持つようにさせたい、というわけでしょう。
「ルビンの壺」のようにどちらにも見えるとか、モアイが単なる「変わった遺物」としか見えないのではこまるとか、月が永久に地球の周りを回り続けると考えては困るとか。
ゴリラの虐待もシカの落ち穂拾いも同様なので、分かっているよと言いたくなりやすいのですが、振り返って身の回りから「視点を変えてみるべきもの」を自分の力で見つけるのは、なかなかできません。本当は、その訓練を(授業で?)やりたいし、君らの成果を見てみたい。「ある時は、……。しかしてその実体は〜〜」という番組がはるか昔にありましたが、実は現在も実体に気づかないものは結構あるようです。
便利で安くていいね、と思っていた携帯が実は無茶苦茶高いものだったり。安いんだもの使うでしょという新規の通販には「税金払っていないんだから安いはずでしょ」というのもあるらしかったり。果てはお金自体が、管理されたお金(社会全体に利益を還元できるお金)と管理されないお金(作成者・所持者だけに利益が回るお金)があったり。
最後の例などは、どう考えても管理されたお金に悪影響が及ぶから、最終的には社会全体が不利益を被ることになってしまうとしか思えないので、早いところ税金を取ってもらわないとたいへんなことになるはずなのですが(あるいは世の中のお金すべてを管理されないお金にすべきか)だれも何も言いだしません。また、クレジットカードなどのせいで、従来の方法では、経済の方向性を政府が操作できる時代ではなくなっているのに、どうしてそういう報道をするのでしょう。
社会批判できるほどの頭はありませんから、例を挙げるしかできませんが、「人間」も含めて、実体をしっかり見極めるべきものは星の数ほどあるように思います。
「絵」もその一つです。時代が変わるとき、絵も革命を起こしてきたように思います。ダビンチの時代も、印象派も、モンドリアン(「赤と白のコンポジション」)やウォーホル(キャンベル缶)も。美術は大切です。新時代、新しい自分を見つけるカギが、実はあるかもしれません。
「美術部の宣伝でした」なんてね。