カツマタクラス

 
2018/02/17 9:09:33|その他
仕事について
前回の宣言通り「仕事について」です。

今度の土曜、50人の保護者・先輩・広報等の方々を招いて「職業研究会」を実施します。義務教育の下、中学までの日本人はほとんど同じ時間を過ごします。ところが、高校・大学・社会人と人によって全く違う時間を生きることになります。学校同様、7時出〜20時帰宅の生活を続ける人もいれば、ほぼ毎日家の周囲3q内で過ごす人、2時に起きる代わりに午後自由だったりしています。ちょっと考えれば、正月がない人(神主・鉄道員・スーパー店員・警察官など)がいて初めて初詣ができるし、スキースクールもホテルの人やリフトの管理者がいないと楽しめません。
わざわざ君たちのために時間を割いてくださった方のためにも、お父さんお母さんらとよくよく話し合って24日を素晴らしい日にしてください。

私にとって、働く人はとても身近な存在だった。週末に父の手伝いで商品を運ぶのは日常茶飯事(さはんじ)だったし、電柱の上の父を見上げながら視界の端っこで自転車で通り過ぎる同級生をとらえるのは珍しくなかった。高校に入ってからは、屋根の上に電線を運ぶことも、セットした機材の見張り番もめっきり減ったが、大工の親方の言葉や農作業のおばさんから学んだことは結構印象に残っている。
「雑草は遠慮がない」「道具を大切にできないやつは人間も大切にできない」「道具は自分で作るものだ」
どれもすごい言葉だ。一生懸命する仕事から生まれた言葉は、私にとってその人そのままに思える。
じっと見つめれば、「働く人」は誰の近くにもたくさんいる。しかし、その実感はなかなか得にくい。ほんの一時(いっとき)「小さな働く人」であった私にとってその時の「仕事」は重いものだった。しかし、幸にして?(不幸にして?)7時〜21時のままの勤務時間の私には、一人で山に出る時間を決め帰宅する山仕事の杣人(そまびと きこり)のおじさんの生活は神秘そのものだったし、今も神秘のままだ。永井豪という天才漫画家は「痔(ぢ おしりの病気)」を材にした漫画が多かったが、椅子に座り続ける漫画家は相当痔に苦しんでいるのだろうと笑いながら思った記憶がある。はたまたいくら移動が嫌いではないにしろ、二日おきに福岡と東京を行ったり来たりし続けるトラック野郎の気持ちは言葉でしか理解できそうにない。
仕事をするというのはどうすることなのだろう。どのくらい仕事によって違いがあるのだろう。それは生きることとどう関わっているのだろう。まずは親や祖父母の考えに触れてみてほしい。そう思っている。

次回は月末に、「職業研究会」の成果をまとめたい。