宮古までと書いたが、実際は田野畑(たのはた)からだ。学生時代に宮沢賢治にはまった時があった。それで東北に興味を持って、三陸鉄道も調べてみたら、なんとカンパネルラ田野畑とある。ますむらひろしという漫画家の作品で、いくつか童話が漫画になっていて、ブームに乗ったのだろうと思ったが、それでもよくそんな名前を付けるなと遠野経由で行ってみた。当時はそれなりに賑やかで、ホタテ河童イカ徳利などというお土産もあって覚えていた。それが震災でどうなったか。気になっていた。だから行った。
震災後初めて見た海岸はあまりに衝撃的だった。巨大なコンクリと鉄の壁がそそり立っている。かろうじて海への扉は開かれていたが、その厚さは1mあると思えた。その前は…何もなかった。アッと思って見上げると、ビルなら八階あたりにかろうじて何件かへばりついていた。谷を登りきるとそこに駅があった。ネットの地図では「田野畑駅」としか 書いてなかったから、まだ「カムパネルラ田野畑」と掲げてある看板を見てびっくりしてしまった。そしてもっと驚いたのは、入り口に向かい合う形であった石碑だった。津波到達点と書いてあった。 下からはわからなかったが、駅からは港が見渡せた。残っている家々も、その下の空き地も、そして港をふさぐ巨大な防潮堤も。まるでロードオブザリングの門のようだった。 あの空き地にいた人々はどこに行ったのか。戻る時間を気にしながら、海岸にそってできた高速道路を目指すと、その疑問は解けた。逆くの字になった平屋の集落が現れた。深い谷を挟んで、いくつかに分かれているようだった。家はどれもカラフルで、新しかった。新しいと言えば、道の駅も同様だった。新しい。閉店したばかりの店の人に尋ねると5年前だという。今の生活にたどり着くのに10年かかったのだ。 ものの見方の基準は、最初の体験にかかっている。これが今回の旅行の基準になってしまった。
基準といえば。道の駅田野畑では、大変申し訳ないことをしてしまった。11時間以上ぶっ通しで運転していたので、どうしても何か腹に入れたかった。ところが店は閉まっている。近くにあるとも思えない。ベンダーに冷凍焼き鳥があるのを見つけて、道の駅の中にレンジがあるのを見つけて。両替までしてもらって購入したのをレンジにかけたら、いきなり止められた。「これは焼かないと食べられないよ」これから3日は家に戻らない。呆然としていたら買い取ってくれるという。疲れ切っていて考える余裕はなかった。 両替してくれた店主に復興祝いですとあげてしまえばよかったのだと思ったのは、車に乗ってしばらくしてからだ。やさしさから、この三日間は始まってもいた。
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