カツマタクラス

 
2025/08/30 7:42:21|その他
世界は広い2
限られた空間と時間で、どう自国を表現するか。世界に何をアピールするか。どんな国が世界にあるのか。それを見られる絶好の機会の万博。何を学べるかと思っていったのだが、もう少し感想を述べたい。

多くの国が集まって構成されたコモンズというパビリオンを見るのも今回の主目的だった。が、格差はここでも露骨に感じた。15〜20畳程度のスペースで、一国を説明するのは至難の業だ。しかし、大変勉強になった。繰り返すが、残念だが見た限りでは、国宝を見られなかった。絵や彫刻、工芸品にこそアイデンティティの象徴と見ている国は多かった。しかし正直に言えば、コモンズではどうしてもパンフレットのような展示が多かった。そんな中で印象に残ったことの一番は、象徴に「像」が多かったことだ。木造や石造、金属の仏像などがあった。それらの国の違いを体感することはできなかったが、アフリカ系の国々では必ずと言っていいほどお面など木彫りの何かがあった。
私たちがこれが日本ですというものは何になるのだろうと思った。
象徴と言えば、ウクライナも実際に見るとドキリとさせられた。列が長すぎて中に入れなかったが、戦争一色なのは、世界の穀倉地帯と言われるほどの国土や歴史を紹介する余地もないと実感させられた。それに対し、同じフロアにあるイスラエルは、実にむなしく感じられた。主観も入ってしまっているが、この国の将来を考えさせられた。全面鏡貼りで狭さをカバーし、嘆きの壁のレプリカ(本物だったらごめんなさい)をぽつんと飾らせていた。戦争に関する話、日本との関わりも一切なかった。セキュリティ?とおぼしき人が立っていて、見学者はわずかだった。将来も国の様子も全く見えない展示だった。むしろ、自分たちの願いだけは神に通じると主張しているかのようで、とても悲しかった。こんな国になったのだ。
見えるといえば、意外な展示も多く見られた。どう見せるかが、これからも大切になってくるのだろうと思わされた。自国の自然をドローンなどを駆使して紹介す映像が多かった中で、クロアチアだったろうか。何qものビニールホースを使って、自国のリアルタイムの気温を体感させようとしていた。教育を主眼に置いていた国もあった。F館のカザフスタンだったと思うのだが、教育課程で同じルートを進むものは一人もいないと紹介していた。これはコモンズからではないが、ヤシがわが国だという国もあった。アラブ首長国連邦だ。カタールは海岸線がわが国だといっていた。ポルトガルも海こそ全てだった。自国ではなく自国を支えてくれているものが何かを問いかけ、見えない将来を考える素材の提供に尽くしていた。さて、どれが最も未来を象徴していたのだろう。たぶん、全ての展示を融合したものになるのだろう。ただ、私が見た中では、イスラエルのような展示にならないことを望む。自分たちを恨む存在があると確信しつつ、その対策を前提とした世の中。せめて監視カメラで終わってほしい。
すっかり忘れていたが、びっくりしたことがもう一つあった。これは日本を最も象徴しているかもしれない。なにかって?スタンプラリーだ。嘘だろ?と言いたいほど、そこら中にあった。私が見る限りでは、韓国人も含めて外国人でやっている人がほとんど見られなかった。これは「本当」の一つだ。さながら千社札か、御朱印帳か。スタンプについてわざわざ張り紙をしている国や、探し回る姿を、はたから見ているのは実にほほえましかった。
アンケートで上位のパビリオン、ナショナルデイや各国のイベントは全くみることができなかった。明確な差別は感じなかったが、人種や宗教を越えた輪のつながりは、私の目では見つけられなかった。その意味では、建物や言葉は別にして、格差や人と人の間に壁を感じた博覧会だったといえるかもしれない。
建物についても、四角い箱にタープで変化をつけただけのようなもの、材料不足?でタープ内は鉄骨の露出した(カタールだったか)ものもいくつか感じた。

自分もふくめて、表現すること、主張すること、そしてその方法の大切さを、改めて実感させられた一日だった。