ああ、と腑に落ちることを教えてもらった。高口という名のジャーナリストの言葉だった。「法治主義には二つあって、法に基づく統治と法を使った統治がある。中国では、昔は法律自体がなくてただ罰するだけでよかった。最近は都合のいい法律を作ってそれを根拠にして処罰するようになった。日本の常識の、法に基づく統治などしていない」 その通りだと思った。もともとどんな人間に対しても平等な法など存在しない。日本の法律も、日本国のためのものであって、多かれ少なかれ差別的なのだろう。ただ、徳治主義的法律にしっかり従っていれば、日本ならばどの国籍であっても結果が残せる。そういう場所に生きられていて、ありがたいなと思う。勝手に法律や姿勢を変えられてしまうチャイナリスクの中で生きるのはたまらないと思った。 悲しいのは、どうしてここまで行く気にならない国に、中国がなってしまったのかということだ。敦煌や烏魯木斉(トンコウやウルムチ)は、三十年前と変わらないでいてくれているのかもしれない。しかし、北京を通らずには行けそうもない。
過失を過失と認める。この時点で、その人は初めて自らの罪と向き合える。言い訳を主張できるのは、他者であって、犯した人間が主張する限り過失を過失と認めたことにならない。私はそう考える。 |