お金に困っているつもりはないが、ついついいいものでも安くないと買う気がしなくなっている。新しいものが高い値が付くのは当たり前と思っているし、そうしないと作る側は困ってしまうだろうとも思うのだが、やはりブックオフで見るのは最低価格帯の棚になってしまう。 そんななか、最近なんとなく感じているのは、最低価格帯の棚の内容に古いものが減っているということだ。もちろん石ノ森章太郎の「三国志」などは目についたりするのだが、昭和中期の作品は結構減っている気がするのだが、どうだろう。見るとしても埼玉の一部と富士富士宮近辺のそれにすぎないので、あたらない見方かもしれない。ただ、もしそうだとしたら、昭和全体が古典の領域に入ってきたのだろうと思った。それは当たり前のことなのだが。実際、明治を生きた祖父を前にして、夏目漱石の「坊ちゃん」のドラマを時代劇のように見ていたのだから。 時代劇はありがたい。古典はありがたい。昭和を生きた人も、明治を生きた人も、たぶん私たちとそんなに変わらない「人間」なのだ。それは平安時代も、もっといえば縄文時代や石器時代の人だって同様なのだ。 教鞭があってはいけないものになり、指示棒にかわった。I(アイ)メッセージであって、君付けが許されなくなって。それでも、「本質」は変わらない気がする。なぜなら、人間自体はさほど変わっていないからだ。ガンダムのような第六感が以上に発達したニュータイプ現れているわけではない。 問題はその表現の仕方であり、評価の基準なのだろう。しかし世界のの「標準」は日本や先進国と言われる国々のそれとはかけ離れている気がする。もちろん理想としての自己基準をしっかりと持つことは大切なのだが、それとかけ離れた価値基準や表現に対する寛容さの必要を感じている。 もっとも、ロシアやアメリカ、イスラエルほかのように、他国・他者への強制・侵害をする世界になりつつある。抗えないのだろうか。
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